自分を取り巻く位相法を認識することのススメ

先日、近所の親しい人たちとお話していたのですが、
そのときに私が、「これは許しがたい!」
みたいなことをプンプンしながら話していたことについて、一人が「まぁまぁ」となだめに入った一方で、
私と律音がある方が、「その感覚はとても自分に近い」とおっしゃっていて、なるほどやはり、と思いました。

律音というのはこじらせると厄介ですが、
ベースのところで「問答無用の共通理解」というのを得られる感じがあります。

よく、日干支の律音は近親相姦のようなもの、といわれたりしますが、
月干支と年干支みたいな律音は、家族のようなもので、
ケンカをするときは激しいけれど、そうはいってもどこかで理解できる感じがあるなと思います。

律音に限らず、位相法というのは、はっきりくっきり分かるものなのですが、
「自分の欲求」「自分の価値観」
というのを直視せず、緩慢に生きていると、自覚が難しく、位相法に振り回される傾向にあります。

例えば、
「合わないな」と思いつつ、無理して併せてみたりとか、
「どうかな」と思いつつ、とりあえず流れに乗ってみたりとか。

もちろん、それがすべてダメなわけでもないですし、
受動性の強い天印星や環境順応型の天恍星などはそういう傾向を本質的に持つのですべて悪いわけではないですが、
例えば、「自分の欲求」というのが実は「承認欲求」である場合などは、ちょっと注意しないと、思わぬところに陥ってしまったりするのではないかな、と思います。

「承認欲求」というのがダメなのは、それが自分の本質的な欲求ではないところに向かう可能性を多分に秘めている点にあります。

誰かが認めてくれるからやる
誰かが見てくれるからやる
誰かが読んでくれるから書く

…というのはもちろん大切なのですけれど、そっちが主軸になってしまったら人生振り回されて他人の肥料になっていきます。

視聴者のためにつくられたドラマ、読者のために描かれたマンガというのが、薄い注目を浴びたとしても名作とは言われない理由は、それが「承認欲求」によってつくられたものであるためです。
人間の人生も、「承認欲求」に起因する生き方というのは、本質を生きることが出来ないのはもちろんですが、引力すらも備えることができず、常にのどの渇きに苛まされるような焦燥の中を生きることに等しいように思います。

大衆向けに活躍した人たちの多くが引退していくその理由は、
表向きには「売れなくなったから」といわれるのですがその本質は、案外と、「大衆に迎合する生き方にうんざりしたから」であったりします。
実際、「あの人は今」みたいなところで登場すると、悲惨な人生などとは程遠く、驚くほど自由にのびのびと生きていたりしますね。

話が逸れましたが、位相法というのは、干支の関係から起こるもの、気の流れによるものなので、
自分のことがきちんと分かっていれば、ある程度、起こりそうなこと・起こるであろうこと、というのは分かるもの。

陰占は自分では自覚できない世界とはいえ、型・カタチとして顕現するものなので、
自分のこと、他人のこと、起こっていること、などを丁寧に観察していればだいたいは分かるように思います。

実際、どんな業界にせよ、プロと呼ばれる人というのは、「魔術師か?」と思うような勘の良さをもって人や出来事にうまく対処しておられますね。

…ということで、自分を取り巻く位相法を認識することのススメ。
これはある種、「目が覚める」ような経験になります。

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