算命学の学校の選び方、高尾学館と朱学院

このところ、算命学を学ぶにあたりどこの学校が良いかを訊かれるので書いておきます。

 

これは個人的な感覚ですが、
身弱の人、あるいは壮年期に最身弱の星(天胡、天報、天極、天馳)がめぐる人は高尾学館、
身強の人、あるいはすべての従星が天胡以外の身体を持つ星である人は朱学院が向くように思います。

 

それ以外の学校の場合でも、
自分が身弱系の場合(前者の場合)であれば先生も身弱系、
自分が身強系の場合(後者の場合)であれば先生も身強系のほうが合うだろうと思います。

 

これはどういうことかといえば、
例えば、
高尾学館の、
まず理論を徹底的に学び、個別具体の事象よりもモノの本質、世の中を貫くルールを知ったうえで現実的な事象を眺めていくアプローチは身弱系に合いやすく、
朱学院の、
最初から現実的な占技を学び、現実の個別具体の事象と照らし合わせて眺めながらその理論を知っていく学び方のほうは身強系に合いやすいように感じられるからです。

 

身強の人は横線(現実・事象)でモノを考える傾向にあり、
身弱の人は縦線(感性・理論)でモノを考える傾向にあることを考えれば、
そういう選択が自然であるように思います。

 

ちなみに教科書・テキストという側面から見ても、
身強系の人は、個別具体の事例を求める傾向が強いため、朱学院のように丁寧な解説文の多いテキストを好み、高尾学館の教科書のような「行間を読む」ことが求められるテキストを読みこなすことは苦手であるように思います。
一方、身弱系の人は、
朱学院のようなテキストは回りくどく無駄に文字数が多いように感じられ、退屈してしまいがちなので、高尾学館の教科書の哲学的な真理や法則、あるいは心理学的要素のエッセンスから理論を掴み取っていくようなアプローチに気持ちが向くようです。

※高尾義政算命学宗家は天胡、天報、天恍で身弱系です。

 

以下私見ですが、
身強の方のこういう「きちんと形になったモノ」を重視し、「きちんと言葉にしてくれないと分かりません」という態度は、現実社会において生きていく場合には実に有効です。
とても合理的で他人から見て分かりやすく、社会における汎用性もあり、
だからこそ身強の人は現実生活に強いともいわれます。

 

ただ、
何かを深く学ぶ、究明していくような学びに必要とされる感性や繊細さ、閃きや直感には欠けるのではないか?
と思うことがときどきあります。

 

これは、
自分が身弱の星の感性で学び取った何か、感じ取った何かを身強系の人に伝えるときには、その感性や繊細さ、曖昧さや不確実性というものには敢えて触れないか、
あるいはそうした感性によって得た知見を分かりやすい言葉に換言した方が良いのではないか?
そういう諸々の曖昧さを事前に徹底的に排除して、「彼らに伝わる合理的で分かりやすい言葉」を選ぶ必要があるのではないか?
という考えにつながっていたりもします。

 

私がこれまで出会った朱学院で学ぶ方はほとんど身強・最身強の方々で、
そのほぼ全員が、
「原典には占技は大して書いてないので意味がない」
「コピーして読んだことがありますが、さらりと読むだけで十分では?」
というようなことをおっしゃったことを考えると、あながち的外れな考察でもないように思いますがいかがでしょうか。
(朱学院で10年以上学ばれている複数の方を含みます。)

 

こうした違いを素通りすることは、
お伝えする側では
「伝えたつもり」「伝わっているつもり」が、相手からすると「何を言っているんだかさっぱり分からない」ということになったりもし、
教わる側でいえば「勝手な解釈」「突飛な理解」につながっているようなことも多くあり、注意が必要なんだろうと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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