十二大従星の矛盾について

人間が自分らしく人生を過ごしていく、
ということを算命学的に言い換えれば、
自分のエネルギーを健やかに発揮していく、ということになります。

自分のエネルギーを健やかに発揮できれば穏やかに幸せに過ごすことができます。
しかし実際には、誰しもが簡単にそのエネルギーを健やかに発揮していけるというわけではなく、
そうした「健やかに発揮していけない要素」のことを算命学では「矛盾」といいます。

本来あるべき流れと異なることとか、
本来あるべき場所と異なることとか、
本来あるべき時期と異なることとか、
…そういうことをもって「矛盾」といいます。

算命学というのは元々は森羅万象の自然をもって最上とし、その自然の姿どおりの要素・在り方などをもって中庸であり、幸福であると考えるので、それと異なる要素・在り方というのは「矛盾」であり不完全燃焼や苦しさにつながるとされます。

今日はその「矛盾」の中でも割と分かりやすい十二大従星の「矛盾」について書いておこうと思います。

さて。
十二大従星というのは12個すべてがそろうと「人間の一生」になります。

天報星が胎児の時期
天印星が赤ちゃんの時期 0才〜3才
天貴星が幼児期 4才〜11才
天恍星が思春期 12才〜19才
天南星が青年期 20才〜40才
天禄星が壮年期 40才〜65才
天将星が棟梁の時期 平均すると50才前後
天堂星が老人期 65才〜(健康な場合)
天胡星が病人の時期 65才〜(病気の場合)
天極星が死人の時期 
天庫星がお墓に入る時期
天馳星があの世にいってお星様になる時期
…です。

※それぞれの時期に符合する年代を入れているのが身体のある時期で、それ以外は身体のない、無形の存在の時期となります。
※年齢のところは人それぞれながら、だいたいの目安のなる年齢を入れています。
※天将星については、単に年齢を重ねるだけでなく、実質的に何かしらの頂点を極める星なので年齢は参考です。

それぞれの十二大従星の意味は詳しいサイトがあちこちにあるので調べてみて欲しいのですが、
人間が、
「当たり前の人生」「ふつうの人生」
…ってどんなものだろう?
と、考えたときに、その答えは十二大従星にあります。

あるいは、
「普通のひとっぽくありたい」
「普通のひとがどうあるべきか知りたい」
…と、考えるなら、それは十二大従星のそれぞれの年代の在り方や心をもって過ごすことが、最もその理想形に近いものとなります。

例えば、
普通の子供ってどんな子供?と考えたときには、
天貴星の意味をよくよく調べれば「普通の子供らしさ」というのが分かりますし、
病気の時の人の気持ちを推し量ろうとするなら、天胡星の意味を深く知ることで「病気の人」の思いや考えをある程度理解できるだろうと思います。

つまり、十二大従星というのは人間の一生のそれぞれの年代の「一般的な在り方」を示している、ということで、
結果として、その十二大従星単体で(自分の宿命と照らし合わせたりしなくても)、その年代ごとの「一般的な処世術」を説いているともいえます。

この「一般的な処世術」は、
例えば45才くらいで壮年期に天馳星がめぐっているような人であれば、
「天禄星的に保守的にあるのがふつうだけれど」という前提を認識した上で、天馳星を発揮する、
そういうワンクッションを置くことで、「ふつう」から大きく外れて非常識という誹りを受けずに済む、というような使い方ができます。

…と、そんなふうに「ふつうの十二大従星の流れ」というのがあるのですけれど、
一方で、星図には当然誰しもが3つの十二大従星をもっていて、その多くの場合、上記の年代と星図の位置は一致しません。

そんなとき、上記の「ふつうの年代」と「自分の年代」が大きく異なっている場合をもって「矛盾がある」ということになります。

矛盾がある場合においても、
自分らしくあるためには、
上記の年代ではなく自分の星図の十二大従星をそれぞれの年代毎に発揮していくのが自分のあるべきあり方となります。

但し、矛盾がある場合、健やかには発揮できません。
よって、
相応に発揮しやすい環境を整えるとか、
発揮しやすいアクティビティを取り入れるとかして、意識的に「健やかな発揮」ができるようにすることが望まれます。

例えば、
若年期に天将星が巡っていたりするなら、子供の頃から過酷な環境を与えるとか、
壮年期に身弱の星が巡っているなら精神性の無形の世界での活躍を目指すとか、
晩年期に天印星が巡っているなら、まわりに従う可愛らしい老人であるよう心がける、など。

「ふつう」と「宿命」をきちんとつないでいくと、矛盾があって健やかな発揮にはならなくても、気分良く過ごすことはできます。

ちなみに、この「健やかな発揮」をもっと深く見ていこうとすると、大運との一致という視点も必要になります。
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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

3 件のコメント

  • コメント失礼します。
    有願と無願について少し思ったことがあります。
    有願が自己の願いだとするなら
    無願というのはその願いがナチュラルに他人のためになる、他人のためにするということがあると思うのですが、いかがでしょう?

    理由として、僕は絵を描いていて、それが先日ある程度のところで、もう良いかなと思ったんですね。
    積年の絵描きになりたいという願いが氷解したといいますか。
    以前の有願の記事でお見かけした通り、絵で仕事を得てもそれほど楽しくないなと思ったこととつながります。
    それでしばらくして入ってきたのが、自分の経験や考え、知識、知恵を若い人たちにエンタメとして提供できないか? という考えでした。
    (極星、一番剋されている星が龍高3で、次が鳳閣2です)
    例えば小説家になりたい! なるんだ! というのではなく、一見抽象的な使命のようなものです。
    それがスッと入ってきました。
    (小説という体になるかどうかはともかく)
    今までだと良い絵描きになりたいと自己本位に思っていたのが、随分違うことを思ったと感じています。

  • すみません、追加で!
    なぜエンタメで小説なのかというと多分主星の禄存の人を喜ばせたいからかなと思います。
    (また、これは関係ないかもと思いますが奈須きのこさんという作家さんと中年期に巡る星が3つとも同じでした)
    実際に作家になるかどうかはともかく、人のためになるのではないか、という考えから出発したことは今までありませんでした。

  • みくにさん、こんばんは!
    「有願」というのは端的にいえばコンプレックスによる願いということです。
    コンプレックスを解消し、マイナスだった自分の気持ちやコンディションをゼロフラットにしたところからが人生の本番になるということ。

    「他人のため」というのは美しい心だとは思うのですが、人間、それだけでは生きていけません。
    「他人のため」というその裏にはどんな願いやビジョンがあるのか、そこはくっきりとさせておく必要があるだろうと思います。

    例えば「他人のため」の最たる星は禄存星ですけれど、あの星さえも実はめぐりめぐって自分のためになる、ということを前提としていますよね。

    さて、絵にせよ小説にせよ、体験知と表現という意味では同じカテゴリと思います。
    ビジョンだったものが精緻な文字を備えたということなら、そういう方向の成長をされているのではないかと思いますがいかがでしょうか?

    文字情報は最近はnoteが注目を浴びていて(私も使っていますが)小説を発表されている方もかなりおららますね。
    書籍化もかなりされているようですし、まずはアクションを起こしてみても良いかもしれませんね。

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