引き寄せと有願と使命

先日、「引き寄せの法則」というワードを真剣に語る人と久しぶりにお会いして感じたのですが、「引き寄せの法則」で引き寄せられるのは、それが有願によるものに限られるように思います。

 

「有願」とは、以下の通り。

『自分本来の希望や願いというより、「満たされなかったことの反動」として現れる願望を『有願』と呼ぶ。
これは他力的に作られた願望であって、自分本来の願望ではない。

人間の、自己の本質が何であるのかを知ることは非常に難しく、もし知り得たとしても30年、40年というような長い年月を必要とする。

欲求不満が大きければ大きいほど、
不満解消への努力は大きく、
人よりも早く財を成し豊かな生活を送れるようになりますが、それは自己の本質外の世界を構成しているわけであって、真の成功とは言えず、真の満足もない。』
(原典算命学体系第2巻より)

 

引き寄せの法則というのは、
いわゆる東洋でいうところの「不易の法則」の応用ですが、
「これをやればこれが叶う」
「これをすればこれが手に入る」
ということを物理法則に落としただけのものなので、そこに精神や人間性がなくても自動的に叶えられます。
(厳密には、執着を手放すとか精神の空白をつくるとかは必要ですが、それは「精神を練る」とか「精神を構築する」というのとは別です。)

 

が、実際に「引き寄せ」を経験したり駆使できたりする人はお分かりと思いますが、
引き寄せの法則で引き寄せたものというのは多くの場合、本質的な幸福感や満足感をもたらすことはなく、たいてい、「あれ?こんなもの?」みたいなあっけなさを伴います。

あくまでそれはスタート地点に到達したに過ぎません。

 

人間らしい生活ができなければ使命に向かうことなどできないのと同様に、
コンプレックスの元になっている願いが叶わないことには、その人が本来果たすべき役割に向かうことが難しいものでもあり、
その「最低限」を満たす仕組みが引き寄せの法則であるといえます。

 

その意味では、
引き寄せの法則」で最低限の欲求(これは「経済的に最低限」ではなく「人間として使命を果たしに向かう気持ちになるために必要な最低限」)を満たせた人は、
いよいよその使命を果たすステージに立っているということなので、さっさとその使命に向かうのが良いだろうと思います。

 

本質的な喜びや満足、達成感は、その先にあります。

 

「引き寄せができるようになった♩」
と、それを楽しむのも悪くはないですが、早晩飽きるものですし、
そこに留まる限りにおいては精神の成長や錬磨はなされません。

 

私は、世界はそろそろ、多くの人がそれぞれの使命を果たす時代に入ってきているのではないかと考えています。

 

人々が使命に向かうようになる前段階として「引き寄せの法則」が大ブームになり最低限の欲求が満たされコンプレックスが解消し、
働き方改革で時間ができたり副業ができるようになったりして、
より「個を全うする」環境が整ってきた感じがありますし、実際、その個としての使命に向かっている人たちというのは、時代の追い風を受けているように思います。

 

「使命とは?」
というのは難しい問いですが、
少なくとも「引き寄せの法則」で引き寄せられる類のものではないだろうと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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