算命学を学ぶこと

今年来年と天中殺期間なので、収入を持株会や個人年金などの継続ものを除いてほぼ貯蓄せずせっせと使っています。
寄付とか募金とかも含め、賛同するものはもちろん、しないものにもお金を投じているのですが、そんな中で会社の先輩が、「嫌いな奴にこそ奢る」という哲学を持っていたのを思い出しました。
「金を切る」と言っていましたが、そうすることで敵を作らずに済む、なるほど、と思います。

天中殺期間ではあるのですが、私の場合はもともと生月中殺があるので、虚虚の実という理論でいえば、天中殺期間こそ実のある期間でもあるらしく、
思い返すと、天中殺期間に人生の変化があったことに気づきました。
大学の入学も、銀行への転職も、そして初めて買った家への転居も天中殺期間です。
(家を買ったのはそれより3年前ですが)
時期が比較的よかったはずの最初の就職先を3年半で辞め、銀行には10年以上勤務していることを考えると、天中殺期間も私の場合はそう悪い時期でもないのかも、とも思います。
まぁ、銀行での勤務自体は苦難と苦労の連続で、それがよかったのかどうか今の時点では判別し難くはありますが。

ちなみに、帝王の星と呼ばれる天将星というがあり、基本的な意味としては勝ち気、浪費、強過ぎて凶、強気に失敗などがあり、人生の前半を苦労と共に過ごさないと開運しない星を私は持っているので、そういう苦労も含めてもしかすると「良かった」と思う日が来るかもしれないな、と思っています。

算命学のベースにある易の思想は、平たく言えば「人生万事塞翁が馬」なので、たぶんどれもこれも、いつか活きる日が来る、と捉えることができます。
そう考えると、こころ穏やかに過ごせて良いです。

算命学では、自然界の出来事全てが神の意志である(八百万の神)ととらえ、そのすべてに法則があると考えます。
その法則(神の意志)をより精緻に読むことができる人が「位」が高いとし、位は徹頭徹尾合理的である先に上がるものとされます。
一方で、「徳」というのは人情の深さであり、損得や合理性を排除してどれだけ思いやりがあるかで上がるものとされます。
位は子孫に継がせることはできませんが(スキルは遺伝しません)、徳は子孫に伝わっていくものとされており、良い行いをしておくと、子々孫々が栄えるとされています。

易の思想では「中庸」ということが重んじられますが、算命学でも位ばかりが高くなって徳が低いとアンバランスになって絶命するか破綻するといわれ、
徳ばかりが高くて位が低くても発展しないとされているので、
位と徳をバランスよく上げていくのが良いそうです。

算命家は、思想や占術を学ぶことによって位が上がっていくものなので、相応にきちんと徳を積むことがとても大切です。
私も学ぶ限りはきちんと徳を積むことを意識しなければいけないな、と思います。

徳を積むには、自分に余裕がなければならず、自分がどういう状況で余裕がなくなるのか?ということをきちんと認識して、自分で状況をコントロールする必要があります。

算命学を学ぶ、ということは、身を修めるということだな、と思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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