円環する時間とまわりの人の人生の平均値の話

Facebookをはじめて7年くらいになります。

なので、Facebookをはじめた頃からの知り合い(Facebook上の「友達」)もそれくらいから何年もつながっているのですが、
そういう方の中には、知り合った頃から飛躍的に活躍の幅を広げておられる方が何人も、何十人もおられ、昨日は友人と、そんな話で盛り上がりました。

 

天職に出会われて世界的に活躍しはじめた方とか、
当初は聴く人もまばらだった主張が広く賛同者を得て活躍されている方とか、
何年もコツコツと学びを重ねて本を出された方とか、
ボランタリーに継続されていたことが仕事になった方とか…

 

挙げればキリがないほどで、そんなまわりの方が様々に活躍の幅を広げ発展されている様子を語らった昨日はとても楽しく心地の良い時間を過ごしたように思います。

 

私は3年前に本格的に東洋思想を学ぶようになり、今はこれと定めて取り組み、充実した時間を過ごしているのですが、
それもこれも、まわりの方々がそれぞれの道を邁進しておられるおかげなんだろうと思います。

 

自分の道を手探りながら切り開いていかれる方々の様子を見ながら不安になったり焦ったり、
迷ったり怒ったり…していたこともある一方、
刺激を受けたり勇気づけられたり、背中を押してもらったこともたくさんあります。

 

そんなことを考えつつ、
自分の年収はまわりの人の年収の平均値、ということがいわれるのと同様に、
人生観とか世界観、生き方などというのも、
多分、まわりの人の平均値を享受できるのだろうと思ったのですがいかがでしょうか。

 

「享受」と書くと、なんとなく受け身なようですが、
まわりの方々から刺激を受けて人生が動いていく、
まわりの方々の活躍に後押しされるように人生が彩りをもっていく、
…という意味では、やはり「享受」という言葉が適切なように感じられます。

なお、こうした刺激や影響を受ける相手というのは、「まわりのすべての人」でななく、何となく気になる人」、「親しくはないかもしれないけど注目してしまう人」なんだろうと思います。

 

そして、私の場合の「気になる」「注目してしまう」その基準は、
より大きな世界に打ち出しているかではなく、
自分の人生を充実感をもって歩んでおられるか。

直線の人生をいかに速く進んでいるかではなく、
円環する人生においていかに濃度を増し、精度を上げていくように生きておられるか、です。

 

東洋思想では時間は円環し、
次元を上げながら螺旋のように巡るものといわれますが、その道筋を根気強く歩み続けておられる姿にいつも刺激と勇気をいただいています。

 

まわりにおられる皆さまのおかげで、今日も頑張れます。
ありがとうございます。

 

そういえば、今朝気づいたら、梅の花が開いていました。
梅の花には、忍耐、忠実、そして高潔、上品という花言葉があります。

 

人生を忍耐強く忠実に生きるその姿勢は高潔であり、そういう人が何かをする様は上品なもの…
ともいえるかもしれないな、と思いました。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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