日居天中殺の生き方について

日居天中殺について質問されたので整理しました。

いわゆる六天中殺(子丑天中殺、申酉天中殺、辰巳天中殺、寅卯天中殺、午未天中殺、戊亥天中殺)とは別に、
日干支だけで天中殺に該当する天中殺が2つあり、日居天中殺はそのうちの一つです。

日干支が「甲辰」と「乙巳」の場合、日居天中殺にあたります。
「日居」とは、天頂にある精神の中心のことですが、その場所に欠けがあります。
なお、「欠け」という場合、そこがブラックホールのように全てを吸い込むようなアンバランスさをイメージすると分かりやすいです。
欠けのある場所は、何につけ「徹底的」になり、結果として損なってしまうので、その逆を行く、という現象になります。

話を日居天中殺に戻します。
日居天中殺は東西が欠け、天頂が欠けます。
天中殺理論は立体五行(六方位)で考えますが、
そのうちの中央(現在)と南北(高い精神性というのは天頂なので、目上目下の関係としての意味で)が生きます。

よって、友人や配偶者は東西的な横のつながりではなく、縦のつながりの中に生まれるものが順当。
また家族でいえば、家系は精神のつながりですが、その精神(天頂)が欠けるので家系とちがうカラーの世界で生きるのが順当と思います。

精神というのは自己の内面でもありますが、そこが欠けるということは、
その自己の内面と現実の不一致が順当でもあり、その不完全さの葛藤の中に安定があるという言い方もできます。

端的にいえば、
「飽くなき完全性を求め続けることが宿命付けられている」
ということでもあり、もし何か満足を得ようとする場合は、心が満たされることをモノサシにするのではなく、自分で目盛りを設けてそれをクリアするたびに自分を褒めていくような生き方が穏やかな気がします。

但し、自分は満足しなくても、それだけ激しく葛藤を経ながら何かを追求していけば、他人からの評価は得られると思います。
そしてその場合でも、東西は欠けるので横線の対人関係ではなく縦線の人間関係からの評価ということになるように思います。

「無」というのは、裏を返せば「強さ」でもあります。
何もないのではなく、無限大の可能性を秘めている、ということでもあり、
その意味で、日居天中殺の人というのは、激しいほどの可能性を持つ特別な人であると思います。

画像引用元:高尾学館『算命学Ⅳ』p.166

f:id:kinugyokutoan:20190203132441j:image
Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です