異界不渡りの理

先ほど、「みんな仲良く」の弊害について書きましたが、
それに関連して、
『異界不渡りの理』という言葉があります。

 

「我心からくる奉仕は相手の成長をとめる」とか、
「富者が貧者に財を与えると貧者は心の貧者となってさらに落ちぶれていく。」
という意味の言葉です。

 

人はそれぞれ各々の宿命と成長に応じた螺旋のプロセスの中にあり、
そこで各人が試練や苦難を通過しながら学びを得て自分の道に向かっています。

 

よって、
「人のために何かをする」
「誰かを助けてあげる」
というのはとても尊いことですが、
そこに介入することは、
それが援助であれ奉仕であれ、
その相手にとってはあまり良いことにはならない、ということです。

 

自分が「良いことをした」と思いたいがための援助やサポートは、
たとえその場では「ありがとう!」と言われたとしても、
長い経過の中でその相手は、
感謝より恨みを抱くようになります。

 

「異界」とは、
成長の螺旋の位置が異なるということですが、
その位置があまりに異なる人というのは、関わらない(渡らない=不渡り)方が相手にとっても自分にとっても良い、ということです。

 

成長の螺旋の位置が異なる人というのは、
そもそも知的レベルも経済レベルもかけ離れているもので、
そうした人たちが同じテーブルについても、気詰まりなだけですし、
取り分け螺旋の下の方にいる人は、
螺旋の上の方にいる人が「同じテーブル」とにつくことで、平等という意識を持ちます。

 

平等という思いは難しいもので、
比和や律音が厄介なものであるのと同様に、複雑な感情を生みます。

「平等なのに、なぜ自分にはこれだけしかないのか」という劣等感や、
「平等なのに、なぜ相手はあんなにも手にしているのか」という妬みややっかみを生み、それは恨みに発展します。

 

これは、
知識レベルや能力レベルがかけ離れているような人がより学びの浅い人を指導する場合にも同じことがいえるのですが、
「異界」にある相手に情をかけるとその関係は多くの場合、破壊的な結果に至ります。

 

通常、螺旋の位置が大きく異なる人同士が接点を持つことは稀で、
それぞれがそれぞれの世界で生きています。
そして、それぞれの世界で平和に穏やかに過ごしています。

しかし、
時に人は「思いやり」とか「温情」という我心によって、
自分より恵まれない人を助けようとか、
下の方にいる人を引き上げてあげようとか考えます。

本来は、そこに介入しないこと、
せいぜい関わることなく遠巻きに見守るくらいが望まれる在り方で、
自制心をもってそうあるのが一番です。

 

たとえ何かをするとしても、
なんらか関わるとしても、
きちんと線引きをする理性的な愛情を持ってあたるべきで、
そこに情を持ち込むべきではありません。

 

乞食に施しをした金持ちがその乞食に殺されるとか、
友達のように教え子を情深く導こうとした教師がその教え子たちに総スカンをくうとか、
そういうことは、『異界不渡りの理』を犯したことに起因する悲劇です。

 

自分の立場と役割、目的など、
先ほど挙げた「軍略五界」をしっかりと認識していれば、
こうした悲劇は起こりません。

いかに世間的に「正しい」とされていることであっても、
「軍略五界」に照らしてそれが真に正しいのかどうか、
しっかりと考えて行動する必要があるように思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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