エネルギーの使い道と人生の役割を果たすこと

堀江貴文さんが「物欲がない」ということを書いていました。
そのことについて、私も物欲ってないな、と思いながら考えていて気付いたんですが、

多分これは、物欲がないのではなく、拘りが強すぎて拘りに合うものに出会う・見つけるのに壮大なエネルギーを要するので、
何か別に集中することがあると、モノを探す、選ぶ、買う、ということを実現できるだけのエネルギーがなくなってしまって、
結果として、モノはいらない、買わない、物欲がない、ということになるのではないかな?と思ったのですがどうでしょう?

つまり、
欲求というのはけっこうエネルギーを使うもので、何かに集中していると物欲などというものはどこかに行ってしまうのではないか?
ということです。

私は、気に入った調味料などはほぼずーっと同じものを使いますし、
服は気に入れば同じカタチの色違いを何枚も買いますし、靴も同様です。

何かを選ぶ、何かを変える、何かを自分の生活に取り入れる、というのは、本当にエネルギーを使う。
これは、日々を緩慢に生きているとあまり気にならないのですが、何かエネルギーを投じる先がある場合には、
そのわずかなエネルギーの分散、エネルギーが漏れていく感じというのが気になって仕方なくなり、
分散を解消するために、他の何かをするのをやめる、という行動になったりします。

さて、昨日(といっても日をまたいでいたので本日ですね)、今、と連続してエネルギーについて書いたのは、
このところ、「自宅待機」の日が続き、自宅でモノを考える時間が増えたことで、
エネルギーの動きや流れというのが、なんとなくわかってきた感じがするからです。

そもそもですが、
エネルギー値というのは、陰占の世界なので自分では自覚できません。
よって、ふつうに生活していたら、エネルギーの動きも流れも気づきません。

けれど、陰占というのは体の動きであり有形の世界なので、
そのエネルギーを使ったであろう状況における現象・有形の結果や、
そのエネルギーが活性化されたように感じられる状況における現象や有形の出来事などを、
丁寧に振り返ると、エネルギーの動きや流れの輪郭を捉えることができます。

繰り返しになりますが、陰占の世界というのは自分では自覚することができません。
なので、一般的に、ブログなどでは陽占に関するところばかりが読まれる傾向にあります。

別にそれはそれで構わないのですが、
宿命の完全消化ということを目指す場合には、陰占も陽占も同じように理解し消化する必要がある、
よって、私は今、その陰占の理解にせっせと取り組んでいる、
今はその陰占の中のエネルギーということについて考えている、というわけです。

エネルギーの流れや動き、消費というのを意識することが、どういうところで役立つかといえば、
例えば、何か有意の結果や成果を目指す場合、
エネルギー値が300とかあるような人であれば、全部何でもやればよいけれど、
エネルギー値が低くなるのに応じて、自分がエネルギーを投じる先を限定していく必要があります。

言い換えれば、エネルギー値が低くても、対象を限定し、一意専心することにができれば、有意の結果・成果を出すことは可能なのですが、
その場合、どの方向にどうエネルギーを使っていくかをきちんと意識するほうがより有効になるので、
そのエネルギーの流れ方、使われ方をしっかり捉えていくと良いですよ、ということです。

もともと、意識はしていたのですが、
このところ、割とくっきり捉えられてきた感じがして、そのことについて書いてみました。

なお、人間は一人ひとり、役割をもって生まれてきています。
その役割は命式に刻まれているわけですが、
その役割を満足に果たすには、大事なところでエネルギー切れにならない生き方・在り方を備えておく必要があります。

天に与えてもらった命であるという謙虚な姿勢に立てば、
その命を存分に生かすためにこうしたことをきちんと学び知り、備えることは大事なことだと考えます。
そして、そういう姿勢に立っていれば、神様が応援してくれる、ということもあるのだろうと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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