愛人の存在

算命学の面白いところは、多様な価値観、多様な生き方を許容できることにあります。

昨晩、とある既婚者の方の命式と星図のデータを眺めていましたら、とても縁のありそうなご夫婦(律音と大半会あり)であられる一方、
旦那様側に複数の配偶者と愛人の星があり、ちらりと訊いてみましたらそんなことがあるようなないような、というお話。
さほど親しくもないので、込み入ったことは伺いにくく、訊きませんでしたが。

ちなみに、こういう命式の人の場合、
愛人がいて順当、宿命通りなので、あからさまに肯定はできないものの、特に「別れたほうがいいですよ」とは言いません。(私は、の場合です。別れてもまた別の愛人が現れますし。)

宿命通りであることによって人生を全うできるというのが算命学の考え方です。
生まれた日の「気」の配合が人生のシナリオを示す記号で、それを生かし花開かせることに本質的な喜びがあります。
何かが欠けると、別のところに歪みが生じます。

こうしたことを大々的にいうと、たいへんな非難にさらされるわけですが、
日本国憲法は西洋の価値観が多分に反映され、その意味では東洋における「あるべき姿」と少なからず乖離があります。

その意味では、江戸後期から明治あたりは、こうした思想が庶民レベルにも浸透していた良い時代でした。
(東洋思想は長い間、殿上人だけのものでした。)

たまに、ネットであれこれ見ていますと「算命学は正しい道を教えているので、不倫はダメです🙅‍♀️」と書いてあったりしますが、算命学は愛人の存在をその理論に上げておりその善悪を断じません。

ちなみに、その愛人がどんな存在か、というのも命式を見ると分かったりします。

前に、人生は同じことが起こり続ける螺旋である、ということを書きましたが、これもそんな要素の一つで、役者が変わるだけで登場人物の役割(この場合は愛人)は誰かが演じ続けます。
それをどうクリアしていくかというのが人生の課題ともいえます。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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