孤独運について

算命学ではときどき孤独運というのが出てきます。
十大主星の調舒星はその代表的なものですが、十二大従星の天胡星も「孤独の星」といわれますし、家系から外れる戊亥天中殺とか辰巳天中殺もある意味では孤独な運といえます。

現代人はとかく孤独を嫌うものなので、
私は敢えて「孤独」を「孤高」と書き換えたりします。

算命学でいう孤独とは、
自分の理解者がいない=自分の心のレベルとまわりの心のレベルが違うことをいいます。
レベルというと高い低いの話になるので、さらにいえば、自分の心のフィールドとまわりの心のフィールドが違う、と言い換えた方がいいかもしれません。

要は、まわりから見て「ちょっとあの人変わってるよね」と言われるような生き方の先にあるのが孤独運であって、
その消化は、「ちょっと変わってる」ことに自信と自負を持って振り切って在ることといえます。

ものすごく何かを頑張って、
どんどん偉くなる人はどんどん孤独になりますし、
どんどん頭が良くなる人というのも、どんどん孤独になります。
例えば、西に調舒星がある人というのは、
配偶者との関係において孤独な質がありますが、これは、
配偶者(西の意味の一つ)に甘えられず結果として自分を磨くことに繋がってレベルアップするともいえますし、
西は現実の向かう先、晩年でもあるので晩年期に孤独ということは、晩年期にはまわりから抜きん出た人になっていて孤独、とも読めます。
もちろんその逆もあるわけですが、
「孤独運」があるひとというのは、そんなふうに「人と違う」ことが役割であり、そのことにおいて人生が光る人なので、
是非ともその「人とは違う」在り方に振り切って生きてもらいたいものだと思います。

日本にいるとイマイチ感じにくいのですが、この世界は多様性の世界です。
森羅万象を構成するあらゆるものに価値と役割があり、
もしそれらが全部同じ色、同じ質であったら、とても薄っぺらなつまらない世界になってしまいます。
「個性」が際立つから美しいのであって、それが平均や一般と異なっていたとしても、だからといって醜いということにはなりません。

ハイブランドのコレクションなどを見ていると、度肝を抜かれるようなお洋服やメイクに驚くものですが、
それをまとったモデルが堂々と美しく歩いている様子を眺めていると、度肝を抜かれた奇抜なお洋服やメイクがキラキラと光って見え始めたりします。

人間が、その個性を発揮するのはそれに似ている気がします。
みんながみんな、そうあるべきなのですが、とりわけ「孤独運」を持つ方は、それを意識していかれると良いと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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