干支について考える 今年の庚子と来年の辛丑について

毎年、この時期になると干支の意味について考えます。

干支というと、十干と十二支を組み合わせたもので、西暦と同じような「暦」の一つなのですが、
西洋合理主義の延長線上においてある西暦と、古来から東洋における思想の一環として使われてきた干支とは、そもそもその持つ意味や役割というのが大きく異なります。

西暦というのは、直線的に流れる時間の目盛りのようなものである一方、
東洋における干支というのは、循環的に流れる時間を示すものであり、
その循環的に流れる時間というのは、単なる時の流れではなく、森羅万象を育む神々、言い換えれば「気」であって、

60の干支が示すのは、森羅万象を育むプロセスであり、
今は何が育まれているのか?その育まれる程度のどの段階にあるか?ということでした。

例えば、水性の星がめぐれば、森羅万象における水性が司るものたちが強まり、
金性の星がめぐれば、森羅万象における金性が司る出来事が惹起され、
火性の星がめぐれば、森羅万象における火性が司る機運が強まる、
…といった具合です。

こうしたことをもって、
古代中国の人たちは、時間というものに色や性質を感じ取っていたといわれます。

その範囲があまりに広範である一方、その視点や活用法が現実において活用される時代からずいぶん時間が経ってしまったために、
それをあたかも昔ばなしかおとぎ話のように感じる人が多くおられますけれど、
今なお、ほとんどの人は自分がどの十二支の年に生まれたかを知っていますし、それをもって相場が語られることもあることをみれば、
まったく意味がないものでもないということは分かるだろうと思います。

さて、60の干支には森羅万象の成長のプロセスが示されていたわけですが、60干支というのは十干と十二支から成っています。
十干という10の天干と十二支という12の地支で成っているなら全部で120通りあるはずなのに、なぜその半分の60しか干支がないかといえば、

十干と十二支それぞれが陰の十干と陽の十干、陰の十二支と陽の十二支から成っており、
60干支というのは、陰の干と陰の支、陽の干と陽の支の組み合わせしかないためです。

これはなぜかといえば、
時間が常に進化に向かって流れるように、人間を含む森羅万象というのはすべて成長の螺旋を昇るのが自然であり、そういう性質を持つことによります。

なお、西洋的な時間感覚では、あらゆるものは、過去から未来へ後戻りすることなく進み続けるととらえますが、
東洋的な時間感覚では、あらゆるものは常に成長に向けて螺旋をのぼるように次元を上げていくのがあるべき姿である、と考えます。
よって、東洋的な時間間隔でいえば、成長に向かわない、螺旋を昇らない、次元を下げていくような生き方をしていると淘汰されることになります。

さて、60干支というのは、陰の干と陰の支、陽の干と陽の支の組み合わせしかないその理由は以下の式をみれば分かります。

陰 × 陰 = 陽 → 進化する
陽 × 陽 = 陽 → 進化する
陰 × 陽 = 陰 → 後退する
陽 × 陰 = 陰 → 後退する

このように、陰同士、陽同士であれば、反発摩擦はあるのですが、それによって進化に向かうことができる一方、陰陽の組み合わせの場合、差し引きゼロになって動きがなくなります。
動きがなくなる、ということは、常に地球が自転し時間が流れている世界では後退を意味し、結果として「命ある森羅万象の世界」ではないものとなるために、
通常の世界を見る場合には陰陽の組み合わせの干支は使わないことになっています。
(特殊なものを観る場合には、陰陽の干支を使うケースもあります。)

さて、話が逸れましたが、
六十干支は森羅万象の成長を示すものであり、その構成要素となる十干と十二支というのも、それぞれ森羅万象の成長のプロセスが示されています。
但し、十干と十二支の成長のプロセスが必ずしも一致しないために、60のプロセスを捉えるのはけっこう難しいもの。

つまり、十干のほうは森羅万象の盛りのプロセスを示す一方、十二支のほうは種となってこもる時期を示す干支というのもあるわけで、
そういうところに干支の難しさ、あるいは面白さがあるといえます。

さて、では実際にそれがどれくらい当てはまっているのか?

今年の干支である庚子を構成している天干と地支の意味を挙げてみれば、
庚は「草花が成熟して行き詰った状態」であり、子は「種子の中で生命が萌え始める」です。
なお、天干は為政者や上層部の人を示し、地支は一般庶民や成長過程にいるような人たちを示します。

いかがでしょうか?

コロナ禍下、これまで物事が発展し成熟してきたその世界が行き詰ってしまったことが露呈するような出来事の数々がありましたね。
確かに、成熟産業の人たちや、政府をはじめとする偉い人たちの手詰まり感が目立った感じがありました。

一方で、こういう時代だからこそ活力を得た新しい分野の萌芽をあちこちに見ることができ、
一般庶民や若い人たち、組織における下層の人たちが新たな生き方や活躍に向かうニュースがたくさん流れたように思います。

ちなみに、本日は日経平均が700円以上上がっていましたけれど、
庚は金性、子は水性であり、金生水とスムーズに流れるので、
手詰まり感のある政府が、新たなことに向かう庶民大衆を、反発することなくうまくサポートしていく、
成熟勘満載の組織の上層部が、若手に新たなことに挑戦するチャンスを与える、
そういう機運が多く見られたように感じますがいかがでしょうか、

では来年はどうか。

来年は辛丑の年ですが、
辛は「草花が枯れて新しい芽吹きの準備をする状態」であり、丑は「種子の中で芽が絡み合った状態」です。
そして、辛は金性、丑は土性なので、土生金と今年同様、スムーズに流れますが、
来年は、庶民大衆の側が政府や上層部を支えていく、あるいは庶民大衆から政府の要人や上層部の幹部が生み出される、そういう立場になる人が出てくる、ということかもしれませんね。

さらにいえば、
成熟産業などは、昨年の「草花が成熟して行き詰った状態」から「枯れて新しいモノに向かう」ために、決定的な転換(終焉を含む)を迎えるということもありえます。
一方で、若い人たちや下層の人たちは、昨年の「種子の中で生命が萌え始める」ことの勢いが多少弱まり、
「種子の中で芽が絡み合った状態」のように停滞しつつ、ひとまず政府や組織の上層部などが新たな方向に向かうことを支える側に向かう、ということもあるかもしれません。

ちょっとざっくり書いていみましたが、干支の解釈は読む人ごとに様々です。
よって、基本の型は上記に書いた通りですので、それを参考に、
ぜひこの年末、ご自身でも今年の干支である庚子がどういう意味であったのか?
そして、来年の干支である辛丑がどういう意味で在るのか?について、思いを馳せてみていただければと思います。

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