金烏玉兎庵

新たな出会いより旧知の人に向かう理由の考察

  

先週の金曜日、4年ぶり?くらいに、大規模な忘年会に参加してまいりました。

多分、100人か、それ以上は参加していたと思うのですが、
「お久しぶり」な方々に、まとめてお目にかかることができて楽しい時間でした。

若い頃は、そういう「大規模」な忘年会とかパーティというのは、
「新しい出会いを求める」ためのものであったのですが、
最近は、「新しい出会いを求める」というよりは、
「旧知の知り合いと再会するため」のものになっていて、
今回も、「お久しぶり」な人たちと近況の交換をする充実した時間を過ごすことが出来ました。

さて、こうした「旧知の知り合い」にばかり気持ちが向かうその理由について考えていたのですが、
思いついた理由は2つ。

一つには、
「何者でもない自分の段階=自分の道が定まっていない場合」には、
自分自身の思考が浅く広いので、どんな人でも関わることができるけれど、
「自己の標榜するものが明確な段階=自分の道が定まっている場合」、
自分自身の思考が深く狭くなるので、その分、関わることが出来る人も、限定的になるため、

そしてもう一つには、
恐らくはこちらのほうが本質的な理由だと思うのですが、
その「大規模な忘年会」の開催主体が、安定期・成熟期に入ったことがその理由だろうと思い至りました。

この、「開催主体が安定期・成熟期に入ったこと」について今少し丁寧に説明すると、

組織・集団というのは、
草創期において、その組織・集団を構成する人たちと、
安定期・成熟期において、その組織・集団を構成する人たちが大きく異なります。

具体的にいえば、
草創期に組織・集団を構成する人たちは、動乱期に強い人であり、
いわゆる濁星が強い人たちが存在感を発揮します。

一方で、その組織・集団が安定期・成熟期に入ると、その組織・集団を構成するのは平和期に強い人で、
いわゆる純星が強い人たちが存在感を発揮するようになります。

濁星とは、貫索星・石門星・調舒星・車騎星・龍高星
純星とは、鳳閣星・禄存星・司禄星・牽牛星・玉堂星
…ですが、

その忘年会で再会し、旧交を温めた「旧知の知り合い」というのは、その開催主体の草創期にいた人たちで、
草創期に活躍された彼らはまさに濁星が強い人たちであって、
私自身も彼らと同様に濁星が強いので、
そういう草創期の人たち=濁星が強い人たちとの関係に居心地の良さを感じるのだろう、ということです。

なお、動乱期という厳しい時代に能力を発揮する濁星よりも、
平和な時期に能力を発揮できる純星のほうが、「消化しやすい・やさしい星」であると感じる方が多いのですが、
必ずしもそうではないことに注意しましょう。

昨日、ちょうど、noteのほうに純星の消化の難しさについて書いたのですが、
純星の消化と濁星の消化は、ルールが明確に異なります。
このあたりは、星の構造を理解していれば、敢えていうまでもないことなのですが、
案外と、星の構造を安易に考える、もっとひどいとスルーしている人もおられるので、ちょっとここで書いておきます。

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