金烏玉兎庵

多様性の復権と宿命を生きること

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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Amazonプライム・ビデオに「サザエさん」が登場したのをご存知でしょうか?
サザエさんというだけで懐かしいのですが、
シーズン1(?)は、1970年に放送されたもの。(私が生まれる前です)

観られる方は是非ご覧いただきたいのですが、
このサザエさん、私の世代が見慣れたサザエさんとはかなり別のもの。
例えば、
タラちゃんやワカメちゃんは「良い子」でなくもっと普通のやんちゃな子ですし、
舟さんももっとアクティブです。
さらに言えば、
今時では絶対放送されないような過激でとんがった内容も含まれていて、かなり衝撃的です。

このサザエさんを観ていると、
今の時代というのは、
管理統制社会であって、
ある種の「常識の管理」がされている時代なんだなぁと感じます。

例えるなら、
キリストの原初の教えが時代を経るうちに支配者のためのロジックに書き換えられてしまったような、
今の時代、メディアに乗って流されるものというのは、
オリジナルではなく「社会」にとって都合の良いものか、都合の悪いものであれば書き換えられたものになってしまったような。

そういえば、
偉人といわれる人の伝記も昨今の本は割と様々に書き換えられたりしています。

豊臣秀吉は、百姓から関白に上り詰めた人ですが、彼のハングリーは百姓という生い立ちだけではありません。
それだけなら、もっと他にも百姓から成り上がる武将がいても良いはず。
最近の伝記ではあまり書かれませんが、豊臣秀吉は多指症で、手の指が6本あり、そうした身体的な異常(常の人と異なること)が強いハングリーにつながったのではないかと言われています。

こうしたことを鑑みるに、
歴史的事実を表にせず、
「普通の人」として描くことで人々の心は波立つことなく過ごせるのかもしれませんが、
結果として、多様性の萌芽を摘んでいるのではないかな?
と、思いました。件のサザエさんを観て。

算命学は、様々な人間の個性があることを説きます。
同性愛や天涯孤独、妾やフリーター、
放浪者や身体的な異常(常と異なること)など、
今の時代にあって否定されたり、否定されないまでもなかなか受け入れられないような生き方や性質が60の干支とその組み合わせには示されていて、
彼らには役割も存在意義もあります。

そこに示された多種多様な生き方や在り方の中には、
今の「常識」からすると「しんどいなぁ」と思うような生き方や在り方というのも数多くあるのですが、
そうした命式を持つ人に、言葉を選びながら「こういう性質の人ですよ」と伝えると、多くの場合、
「やはりそうなのか、安心しました」
という反応が返ってきます。

それは、
古来、そうした生き方や性質の存在が社会において認知され、
世界はそれらの多様性を前提としてあったという事実を知ることが、
現代の「常識」から外れていることで悩んでいた人にとっては、
「存在のオーソライズ」という光になるからではないかと思います。

逆にいえば、
お行儀の良いタラちゃんとしっかり者のワカメちゃんがでてくる今のサザエさんを見て育った世代というのは、
「常識」に苦しみ、「多様性」を失い、
存在がオーソライズされていないと感じている人がけっこういるということ、
のように思います。

昨日、「陽の因果応報」ということを書きました。
陽の因果応報を顕現させるには、
調和と螺旋的成長を堅確にし、促進することが必要だったわけですが、
実はこうした個性、多様性を常識によって制限することなく発露させることは、
調和を担い、螺旋的に成長することに寄与します。

様々な多様性溢れる個性が宿命を生き、それぞれに光る世界というのは、
カラフルな縦糸と横糸によって織り上げられた壮大なタペストリーのように美しい調和を成すからです。

美しく宿命を生きる人が増えるためにも、多様性の復権が望まれるな、と思います。

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