金烏玉兎庵

早めの試練

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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先日、前澤社長について書いたときに、
昨今の世の中はなかなか「試練」を若いうちに味わうことがない、ということを書きましたが、
例えば受験とか、
何かのオーディションとか、
勝ち負けが明確になるスポーツとか、
そういうことに
「自分の強い意志で」取り組んだ先での挫折というのは、「試練」といえます。

 

それが自分の意志でなく、
親の意志である限り、
受験やオーディション、スポーツなどで負けたとしても、
本人にとっては挫折でもなんでもなく、その試練はどこか間接的なものとなり、
ある面では単なる失敗体験の積み重ねとなります。

 

単なる失敗体験の積み重ねにも、
何らかの意味はあり、
それはその先の人生に対して何らかの影響を与えるもので、
そこから学べるものもたくさんあるので
「まったくの無駄」
とは言わないものの、
そこに「本人の強い意志」がない限り、
本人は人形のように他人任せの人生を歩んでいるだけなので、
そこでの勝ち負けや体験で得られるものは間接的なものとなり、
「本当の自分」としてのスタートは遅くなります。

 

身弱の人というのは自分が好きではないことは「やらない」「出来ない」人たちなので、
親からすれば「これはキライなんだな」とすぐ分かるため、ある意味無駄がないのですが、
身強の人の場合、
キライでもやれてしまう人たちなので、
親や先生など、まわりからはなかなか判別がつかず、好きでもないことをやり続けてしまう傾向にあります。
身強の星が2つ以上ある最身強の人の場合、
天職に出会うのに50年かかるとすらいわれます。

 

早い段階で本人の意思で何かを選択し、
自分の道を切り開いていくこと、
そのプロセスにおいて経験する「本当の試練」から学んで大きく成長すること。

「誰かのため」とか「人がやってるから」のような他人のモノサシで選ぶと「本当はやりたくなかった」という逃げ道が生まれるわけですが、
そういう逃げ道を絶って、心の底からの達成感、あるいは心の底からの悔しいという思いを経験をするということが大事で、そういうことに出来るだけ早く取り組むのが良いのだろうと思います。

 

ちなみに、
「出来るだけ早く」
と書きましたが、
人生100年時代、今からでも遅くないかも?と私は思っているところです。

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