金烏玉兎庵

算命学と世界の相似

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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算命学を占いと思っている人は多いのですが、
世の中を分類する分類学であり、
分類されたものの仕組みと相互作用の法則を説いた自然学です。

 

例えば、その論理と構造においては法律に似ているし、
世の中の集団の活動や物事が起こる仕組みは経済学にその現象を見つけることが出来ます。

算命学にある宿命の消化要素は刑法の構成要件に似ているし、
停止条件(ある条件が成就したらそこから効果が発生する、そんな条件)は運命の稼働条件に似ています。

 

国家の運命を50年区切りで観る時代論の流れは、経済循環の長期波動であるコンドラチェフの波にほぼ一致していますし、
MMT(現代貨幣理論)の本質は、何を信じるべきか、理性至上主義からの脱却という面があり、算命学のような東洋思想の説くバランスと自浄作用を前提としています。

 

また、一曲二元と中庸、螺旋の構造は物理学で学ぶ宇宙の成り立ちに同じ構造を見ることができ、
個人・集団の各本能と性質は、生物学にある生態ピラミッドにとてもよく似ています。

 

世の中は様々な大きさの相似形の集まりです、
ということを前に書きましたが、
それを具体的にいえばこういうことです。

挙げればきりがありませんが、
あらゆるところにその相似形があり、算命学はその相似形を読み解く学問といえます。

 

これは、
算命学がこの世の出来事を網羅的にとらえ、扱う範囲はこの世界のすべてであることを考えれば当たり前のことですが、
様々な要素が抽象化されているので、一般の人には分かりにくく、
戦後、東洋思想が軽視されてきた時代背景も相まってその評価は「占い」の位置にあるものの、本質的には究極のリベラルアーツといえる学問だと私は考えています。

 

ただ私がここでお伝えしたいのは、
「算命学を学ぶべし」
ということではなく、

算命学にある通り、世の中は相似形の集まりであってそこには法則とサイクルがあるので、
そこに注目すれば、

もう少し地に足をつけて動じることなく生きていけるのでは?

ということです。

 

「世の中が相似形の集まりである」ということを言い換えれば、
「世の中の作用や動きも相似形である」ということであり、
「世の中で起こることには法則がある」ということで、
それはつまり、
「世の中で起こることは繰り返される」ということでもあり、
究極的には、
「世の中には同じことしか起こらない」
ということになります。

 

「同じこと」というのは「同じ要素の出来事」という意味です。

 

こうしたことは、目の前の現実に近づきすぎているとなかなか気づかないのですが、
40年以上生きてきた人が自分の人生を丁寧に振り返れば、その中にサイクルを見つけることができるはずです。

 

算命学に説かれてることが、
リアルで現実的な出来事や、
あるいは自分が専門として学んできた学問と相似の関係にあることに気づくことができれば、
その延長においてその法則を活用し、その法則をもって予見することができるようになります。

 

よって、
世の中を俯瞰する習慣のある人や、
日々の生活を瞑想をもって振り返る人、
あるいは学んだ学問の本質をつかんだ人は、
それと意識することなく自然にこうした予見のスキルを備えています。

 

ちなみに、
算命学は東洋思想ですが、
その構造や意味を正確に読み解こうとするなら、世の中を現実的に支えている仕組みを知っておく必要があります。

 

算命学が陰だとすれば、
現実的な仕組みが陽です。

 

この場合の陽とは、
経済学、物理学、生物学、歴史、文化、行政や外交を含む法律など。

 

算命学は
「占い師が最後にたどり着く占い」
といわれたりしますが、
その本質は究極のリベラルアーツであって、陽の学問を統合する学問ともいえます。

 

実際、政治家や経営者がこぞって学ぶ学問でもあります。

 

ちなみに私は、
東洋思想に全力で傾倒していく中で、
最初のうちは、
大学で何年もかけて学んだこととか、
社会人になって必死で勉強したこととか、
折々に怒りから掘り下げて学んだこととか、
無駄だったかな?と思ったりしたのですが、
最近はそうしたことが算命学を学ぶ上でけっこう役に立っているなと感じます。

 

まだまだ途上、いや山の麓⛰でうろうろしているような段階なわけですが、
この先いつか、
「算命学を学んでおいてよかったな」
と思う日が来るかもしれません。

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