金烏玉兎庵

異常干支や天中殺が宿命にある「変」な人

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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箱根駅伝は創価大学が往路優勝、総合でも準優勝という番狂わせでした。
もちろん、創価大学の選手の方々の努力のたまものであり、たいへんな快挙、おめでとうございます、

…と思うところではありますが、

その報に接し頭に浮かんだのは、
やはり庚子の年、異常干支の年だけに、「変なこと」があるものだな、
と、いうこと。

算命学では立春からが新しい年、つまり辛丑の年になるので、それまではまだ庚子の年にあたります。
さらにいえば、後天運でめぐる気というのは、だいたい終わりと始まりにおいて大きな現象になりやすいので、
ちょうど今くらいの時期というのは、くっきりはっきり「変なこと」が起こりがちな時期として警戒したほうが良い時期といえます。

もちろん「変なこと」というのは、「いつもと違うこと」というだけであって、必ずしもネガティブというわけではないのですが、
いわゆるリスクというのがボラティリティによってその大小が計られることに倣うなら、
やはり異常干支の年の始まりと終わりの時期というのは警戒したほうが良いだろうと考えます。

それにしても、
異常干支でいうところの「変」とか、
天中殺でいうところの「枠がない」とかいうのはとてもくっきりしているのですが、
ときどき、それがどういうものか分かりません、というご質問をいただくことがあります。

それで気付いたのですが、
多分、世の中を客観的に、ちょっと離れたところにいるような視点で観察していると、
何をもって「ふつう」というか、
何をもって「変」とか「枠がない」というかということが良く分かるものなのですが、

多分、「分からない」と感じる方は、世の中を観察するのではなく、
その世の中に入り込んで過ごしているから「ちょっと変」であることに気づかない、ということになるんじゃないかな。

自分のことや自分の半径50mくらいの世界のことに夢中になっていると、
その世界に取り込まれ、その世界を全肯定するようになります(できるようになります)。

それはそれで、幸せなことですけれど、
自分のまわりの世界、自分の半径 50mくらいの世界だけを眺めていては、
多分、何が「ふつう」で、何が「変」なのかを判じるのは難しいのだろうと思います。

一般的に、
自分に異常干支や宿命中殺がある人は、だいたい自分が「変」であることを自覚していますが、
そうはいっても、「ふつう」とか「平均」というものを知るのに苦労するものですし、

異常干支や宿命中殺がないような人は、たいてい自分は「ふつう」だと思っていますが、
そういうい人は、「変」とか「枠がない」という感覚をつかみにくいものです。

これは、自分にない要素というのが何であれ理解するのが難しい、というのも理由の一つですが、
それよりなにより、だいたいにおいて、
自分に「変」な要素がある人の友人・知人というのは同じように「変」な要素がある傾向にあり、
自分が「ふつう」である人は、その友人・知人も「ふつう」である傾向が強いので、

極論をいえば、別に、
「ふつう」の人が「変」な人を理解しなくても、
「変」な人が「ふつう」の人を理解しなくても、
やっていけるからだろうと思います。

よって、半径50mで幸せに生きていきたい人は、別に、何が「ふつう」で何が「変」なのか知らなくても良いかもしれません。

けれどもし、ある程度広い世界で生きていこうと思うなら、
広い世界と関わって生きるとか、広い世界に影響力を持つ生き方をしたいと思うならば、

「ふつう」とは何か?
「変」とは何か?
ということを、それぞれきちんと知っておく、どういうものかを認識しておくことは、
有用であるばかりでなく、広い世界に立った自分の安定にもつながるだろうと思います。

例えば、
ここでは便宜上、「変」と「ふつう」という2つのカテゴリで書いていますが、
「変」の中にも「変」を出していける人と出していけない人、
「変」を出していける人の中にも、「変」を活かせる人、活かせない人、
「変」を活かせる人の中にも、オモテ側で「変」を活かす人、ウラ側で「変」を活かす人…
などなど、掘り下げればいくらでも細分化できるのですが、

そもそもその「変」のカテゴリの人は、何がどう「変」であって、どう「ふつう」と異なるか?ということを認識できると、
その「変」をプロデュースし、活用の場所へはめ込んでいくことができるようになるので、圧倒的に世の中での活躍の幅が広がります。

但し、この「変」の元になっている異常干支や天中殺というのは陰占の要素なので、ふつうは自覚することはできません。
そう、「変」な人は、自分でその「変」をふつうは自覚できないのです。

ふつうは自覚できないのに、敢えてそのことを書いたのは、
「ふつうは自覚できない」ものを自覚出来たら、圧倒的に世の中での活躍の幅が広がりますよ、ということを言いたかったからです。

そもそものところ、「変」な人は、最初から「変」なので、
「ふつうは」の延長線上に生きていくべきではない人でもあります。

この意味、分かりますでしょうか。

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