金烏玉兎庵

律音のお話、大人になって同級生とつるむその期間はモラトリアム

個性を際立たせて生きているような人は、
律音がある人とはなかなか仲良くなりがたい傾向にあるといわれます。

なぜなら、
くっきり自分の干支の姿を生きている場合、
自分の干支の姿と被る要素があるような人とは活躍場所を取り合うことになるので、
一緒にいると、違和感や反発を感じ、ときに激しい嫌悪感を抱くものだからです。

同級生だとどうしたって律音があるものですが、
だいたいにおいて「個性を際立たせて生きている人」というのは同級生同士でつるむことも少ないですね。
…よほど「一心同体」的な、「死なばもろとも」的な絆でもって一緒に何かに取り組んでいるなら別ですが。

よく「年干支の律音なら許容範囲」などといわれることもありますが、
これは例えば夫婦などで、「一緒に人生歩んでいきます」というなら年干支の律音も許容であるというだけで、

単に友達や同僚であった場合、
大人になって「同級生」でつるんでいるような人は、基本的に自分の人生を生きていない人が多いように思います。

だいたい、本質的な意味で自分を生きていたら、とても同級生同士=律音同士でつるむようなことにはなりにくいはず、と思いますがどうでしょう。

よって、只今現在、「同級生」でつるんでいるようなひとは、その期間はモラトリアムであることを認識のうえ、
自分の人生というのを真剣に考えたほうが良いのではないかと思います。

なお、年干支一つでもそうなので、二つも三つも律音があるような人同士でつるんでいたりする場合には、
それだけで、「どちらも大きな活躍をしそうにない」ということが分かったりします。

どんなに派手なパフォーマンスをしていても、
どれだけせっせと頑張っていても、
二つも三つも律音があるような人同士が、
つるんでいて本質的な活躍に向かうことなどあるはずがなく。

…と、ここまでは、算命学を学んでいれば、ほぼ常識的に語られることなので、
算命学を学ばれている方であれば皆さんご承知と思うのですが、

それとは別に、

元々同じ世界にいた律音同士の人たちが、それぞれ別の世界に足場を移した場合には、
別の世界でそれぞれ活躍に向かう、ということはあるように思います。

あるいは、それぞれの世界で活躍している同士が、
何かのタイミングで顔を合わせたりすると、そこで理解し合える、認め合える、ということも、あるように思います。

つまり、
「つるむ」とか「頼る」とかいうのではなく、
それぞれが独立して、十分に活躍している場合には、当然に同じ干支を持つ者同士として、気が合う、理解し合えるということはありますよ、ということです。
但し、その場合も、四六時中一緒にいるような関係では、早晩互いにつぶし合うことになるように思いますが。

このところ、飲み会自粛の中、ちょっと前に(コロナ前に)、
個人的に、活躍が素晴らしいと思っている、それぞれ微妙に世界がちがう男性三人を集めて飲み会をしたのですが、
なんとその三人が、みんな同じ日干支で驚いた、ということがあり、
そのときの写真が出てきたので、ちょっと思い出して律音について書いてみました。

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なんとなく同じカタチの紅葉の重なりが律音っぽいです🍁

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