金烏玉兎庵

何かを成し遂げるために必要な「自分を明け渡す」ということ、陰陽論

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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人間というのは、
本質的な役割を果たすとか、何かを成し遂げるとかいうときには、
何か壮大な力ともいうべきものに自分を明け渡す、ということをしなければならないように思います。

自分の欲求がどうであれ、
自分の意図がどうであれ、
自分の目指すところが何であれ、

自分が何かルートのようなものに乗っかって、
そのルートに乗って進むその勢いが増し始めたなら、
それはまちがいなく、「自分を明け渡す」ということをするべきタイミングなのだろうと思います。

明け渡す先は、
神様か、宇宙の原理か、あるいは何か尊い大いなる存在か。

いずれにしても、何か自分が大きな流れの中に入ったならば、
自分よりも高次の存在・仕組み・力のようなものに、「明け渡す」ということが必要だろうというお話です。

これは、自転車に乗って坂道を走るときに、勢いを増していくそのプロセスにおいては自分でハンドルをコントロールするより、ハンドルをリリースして進むに任せる方が良いことを思い浮かべるとイメージしやすいのではないかと思います。

昨日、人間の在り方として「主体的、能動的」と「従属的、受動的」という書き方をしたのですが、
なんとなくそんなふうに書くといかにも「従属的、受動的」の分が悪い気がして別の表現はないかな、と探していました。
で、ぴったりの表現を安岡正篤先生のご著書に見つけたのでこちらに書いておこうと思います。

正岡先生はそのご著書で、

「宇宙も社会も人間も、みな大いなる調和、つまり大和(だいわ)から成り立っている。
東洋思想において、あらゆる実在は、
発現、分化、発展を本領とする陽の原理と、
統一調和、全体性、永遠性を本領とする陰の原理との、
陰陽相対性原理によって成立し、活動していると考えられている。

ところが、現代は分化を本領とする陽の原理、西洋的思考に偏しており、
それと相持つべき大和的思考、陰の原理がほとんど顧みられない。

その結果、人間がいたずらに外面に走り、利己主義的、物質主義的になり、社会も文化も雑駁なものに成り下がっている。」
※雑駁:知識・思想が雑然としていて、統一がないこと。

…と書いておられるのですが、
この文章をみれば、陰的、つまり「従属的、受動的」ということの本質的な意味、その尊さというのが伝わってくるような感じがするのですがどうでしょう。

そしてさらにいえば、
陰の原理を生きるということは、
冒頭で書いた「自分を明け渡す」ということと同義であることに気づきます。

ここで引用した正岡先生の文章におけるポイントは、
確かに陽的なものというのは、発展はするけれど分化をもたらし、
陰的なものというのは、従属的・受動的であったとしても、そこには統一調和や全体性、そしてその先に永続性があるという点です。

現代の西洋文化的思考においては、
発展の先に、つまり陽的なものの先に永続性があるかのように語られることが多いのですけれど、
これはこの世界における壮大なトラップともいえる誤解であり、
実際には、全体調和とその先における永続性を目指すならば、従属的・受動的思考が必要であるということなのだと思います。

こうしてみると、
その従う先、受け身になって主導権を渡す先ということの大切さ、というのを確かに感じ取ることができますし、

実際、世の中を見回してみれば、
本質的な役割を果たすとか、何かを成し遂げるとかいうときには、こういう態度(自分を明け渡すという態度)が単に必要であるのみならず、不可欠の要素であることに気づきます。

もちろん、「自分の力で何とかする」「自力で頑張る」というのは立派な在り方であり、素晴らしいとも思います。
また、そのプロセスから得られる何かというのも確かにあるとは思うのですが、

恐らくは、
自分を明け渡して果たせる役割や、成し遂げられる何かのほうが、
自分の力で何とかする、自力で頑張ることで果たせる役割や成し遂げられる何かよりもずっとスケールの大きなものになるだろうという気がします。

このあたり、従化五格の仕組みを思い起こせば確かになぁと思うところではないでしょうか。

いってみれば、
「自分」の成分が少ないからこそ、大きな成果を手にできる、ということで、
「自分」の成分が大きくなればなるほど、そのエネルギーの及ぼせる範囲は小さくなるあの感じと同じ仕組みが、
ここでも働いているということです。

陰陽というのは常に全きバランスを保って存在しています。
これはつまり、極大界においても極微界においても等しくバランスしているということであり、

それはつまり冒頭に書いた、
表立って活躍していこうとするならば(陽の活躍を目指すなら)、自分を何かに明け渡す(自分自身は陰に徹する)ことが必要だろうということにつながります。

この話は、先日、菅さんについて「半身の活躍」ということを書いたこととも同根のお話です。

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