金烏玉兎庵

重陽の節句と欲求という「道しるべ」

本日は重陽の節句でした。
いつもなら、いろいろと準備をするのですけれど、
只今、仕事がたいへんに忙しく、結局、菊のお花を飾るだけになってしまいました…。

とはいえ、
お花を買って帰るのは、なんとなく気持ちが明るくなるもので、ピリピリ感でいっぱいだった心がすーっと晴れやかになったような。

選んだのは手毬菊。ピンポンマムっていうほうが正しいのかな?
かわいらしいお花ですが、
菊らしく、花ことばは、真実・高貴などが並びます。

五節句をきちんとお祝いしていくとか、
神棚に日々お参りするとかいうのは、
流しをきれいにしておくとか、ほこりを払うとかいうのと同じような、
「神の国日本」において培われた「発展の智慧」であろうと思っているのですが、
その原点はどこにあったかと考えると、幸田露伴の教えについてその娘である幸田文さんが書いた随筆であったなぁと思い出しました。

幸田露伴という人は、父と名前が同じで(漢字は違いますが)、なんとなく勝手に親近感を抱いています。
調舒星とか車騎星があるのは、露伴さんも父も私もおんなじで、幸田文さんが書いた露伴さんの話などを読むと父のことを思い出します笑

さて、「重陽」というのは、陽の極である「9」が重なる日であることから「重陽」といい、
極まった陽が重なるのは陽気が強すぎて不吉だということでそれを払うためための行事が「重陽の節句」なのだそうですが、

本日は、まったくもって「陽」が極まるような一日で、ありがたく受け取りつつもちょっと気持ちが引き締まるような日でした。
油断しないよう、奢ることのないよう、菊の花を生けながらそんなことを考えました。

それにしても、
日々の習慣、毎月の習慣、毎年の習慣、というのがありますが、
そういう習慣をきちんきちんと重ねていると、足場が固まってくるというか、何かに守られるようになるというか、
目に見えない何かが自分を構築し、安定させ、さらには導いてくれているような感覚が生まれてくるように思います。

延喜式には、年中行事としておびただしい数の「日々の習慣、毎月の習慣、毎年の習慣」をつくっていたその取り決めが書かれていますけれど、
そういう一つ一つを全部生活に取り入れてみたら、どんな景色が見えるのだろう?
と、思うこともあります。

こういう、非現実的なことを真剣に深めていくことに強い欲求を感じるのは、戌亥天中殺ゆえのことなのか、龍高星が強いからなのか。
…でも、そこに欲求があるなら、その欲求はたぶんどこかに続く「道しるべ」なので、
この感覚を大事にして、いつか実際にやってみようと思います。

私は実業の世界に身を置きながら、「算命学を現実の生活、現実の人生に活かす」ということに取り組んでいるのですが、
それと並行して、中長期的には、「東洋思想の復権」ということにも取り組んでいます。
なので、東洋思想の復権につながることは、もれなくやっていこう、と思っています。

「そんなの、あなたがやらなくても誰かがやるでしょう」
「そんな大それたこと、あなたごときがやるなんておこがましいでしょう」
…と、思う人もいるかもしれません。
いや、10年くらい前の私なら、自分でそう思ったような気もします笑

けれど、「自分の頭に浮かんだこと」「自分が強く欲求を感じたこと」というのは、
他の誰のものでもなく、自分のもの、自分だけのものです。

その感覚を無視してはいけないと思う。

これは、ブログやらnoteやらに、「ちょっとこれはどうかな?」と思うことを敢えて書くのも同じで、
「自分の頭に浮かんだこと」「自分の心が強く感じたこと」というのは、
私だけに浮かんだものなのだから、それを書く「義務」がある、と考えてのことであったりします。

人間というのは、一日に六万回も思考しているのだそうです。
…それが真実かどうかは分かりませんが、少なくとも一日だけでおびただしい数の思考が浮かんでは消えていくのは分かりますね。

その中で、自分の心に強く残ったこと、自分の心を捉えたこと、自分の頭にくっきり残っていることというのは、
六万分のいくつかなわけで、0.0016%とかそのくらいの確率で自分を捉えた思考を無視しては、いけないんじゃないかな?と思うのですがどうでしょうか。

重陽の節句、菊の花びらを浮かべた日本酒をいただきながら、そんなことを考えました。

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