金烏玉兎庵

真の力の在り処について

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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「行動は言葉よりも雄弁である。Actions speak louder than words.」
…という英語のことわざがありますが、

言葉や行動がすごいように見えても、
それがメッキだったということは往々にしてあります。

だいたい何年かするとだいたい分かるものですが、
本質の不足を言葉や見た目の行動で補っていたのが、時とともに現れる馬脚にがっかりする、という場合、
最初から馬脚だと分かっている場合よりもはるかに残念な印象を与えるものです。

そもそもですが、
最初から馬脚であれば、馬脚を売りにして一発逆転を狙う、ということもできるものですけれど、
それをひた隠しに隠した挙句に馬脚が現れたりすると、救いようがないような気がしますがいかがでしょうか。

夏休み、政治系メロドラマ「スキャンダル」の最終シーズンを観ました。
その終盤、以下のようなセリフがあります。

真の力は姿を見せない。
真の力は孤独でただ独りあるもの。
真の力は手に入れたり失ったりするものではなく、揺るぎなくそこにあるもの。
真の力とは、生き方そのものだ。

この「力」というのは、「権力」とも訳せますし、「魅力」とか「人間力」とか訳しても良いと思うのですが、
(ドラマ内の字幕では「権力」となっていますが)
これは、主に主人公オリビアやその同僚ジェイクの、その力を誇示する在り方を戒めるところにおけるセリフなのですけれど、

もっといえば、

本当の当人の実力 <<<< ひけらかし誇示している力

…のように、ひけらかし誇示している力よりはるかに低レベルの力しかないことについての自覚なく傲慢であることを指摘しているという面もあるのだろうと思います。

さらにいえば、
謙虚であってこそ真の力を備えることができる、
他人にひけらかすことなく自らのうちに備える力こそ本物である、
力とは見せるもの、主張するもの、吹聴するもの、誇示するものでは決してなく、自らのうちに持つものである。

…ということであるともいえそうですね。

このセリフ、ドラマを観ている人ならお察しと思いますが、陰の実力者であるローワン・ポープのもの。

超悪役的に描かれるこの人ですが、個人的に、このドラマの中で最も尊敬するのはこの人です。
ちなみに、ジェフ・ベリー演じるゲイの政治家サイラス・ビーンも好きです。
どちらも「裏で活躍」するからこそ本質的な力を持っているという点が共通しています。
(サイラス・ビーンは色気をだして表に出ようとして失脚しますが)

このドラマを観るまでもなく、
世界において、「表に出る人」「表で目立つ人」というのは基本的に無力であり、力を持つのは「裏にいる人」。

これは、政治の世界でもそうですし、芸能界でも同じです。
表に出る人に注目は集まりますけれど、注目を浴びるというのは本質的に無力になることと同義であり、
表に出る限りにおいては本質的に何かを動かすとか何かを得るというのは難しいもの。

これは陰謀論などではなく、コトの真理。
陰陽の姿をみれば説明せずともわかる事ともいますがどうでしょう。

例えば、表に出ている政治家より、裏で支援している大口献金者のほうが力を持っているものですし、
表に出ている芸能人より事務所のほうがもうかっています。

これは、

本当の当人の実力 <<<< ひけらかし誇示している力

…の関係である限り、本質的な力を得られない。

本当の当人の実力=ひけらかし誇示している力

…となったあたりから、多少の力が備わってきて、

本当の当人の実力 >>>> ひけらかし誇示している実力

…となると、一人でも本質的な力を得られる、ということでもあります。

これは、
「ひけらかし誇示している実力」よりもはるかに大きな「本当の当人の実力」がある、ということは、
そこには「隠れた実力」があるので、そこに本質的な力が宿るということであり、
つまり、最後の例というのは、
一人二役で、表の自分と裏の自分を使い分けている、といえますね。

その意味では、
もし誰かに牛耳らせることなく自分一人で表にアピールするときには、相当の余裕を残しておくと良いのかもしれません。

ちなみに、
算命学ではこの、表寄りの人、裏寄りのひとというのはくっきりはっきり分かります。

表寄りな人は、表に出ることにおいて役割があるので、そういう人は表に出てアピールすることで活躍できます。

一方、裏寄りな人は、裏側で役目を果たすことに役割があるので、日和って表に出るより裏にいたほうが活躍できるし力量を発揮できます。

そしてさらにいえば、
表に出張っているような人で、
まわりが違和感を感じる人、というのは、
裏寄りの適性なのに表に出よう出ようとする人です。

これはつまり、
宿命とあり方に矛盾がある人というのは違和感、ときに見苦しさを感じさせる、ということでもあります。

とはいえ、
「違和感」=目立つ、ということでもあるので、目立ちたいならそれも良いかもしれません。
…が、こうした流れをよくよく考えると、
算命学において中庸を逸れると淘汰されるその仕組みが分かるかな、と思いますがいかがでしょうか。

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