金烏玉兎庵

別離によって飛躍する 西方の三大奇星は不幸なのか?

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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世の中、
何か別離を経験するたびにどんどん成長する人というのがいます。

引っ越すたびにステップアップする、
学校が変わるたびにレベルアップする、
恋人や配偶者と別れるたびに飛躍する。

「成長」という言葉の範囲は様々ですが、
人と離れる、分れることによって、人間として大きくスケールアップしていく人というのがけっこういる、というお話です。

どういう人がそのタイプに該当するかは noteのほうにその事例をいくつか書いているのでそちらをご覧いただきたいのですが、
私はダブル?トリプル?でそういう要素を持っていることもあり、「別離」に対して前向きです。

引っ越すたびに付き合う人のレベルが上がる、
学校が変わるたびに、自分を取り巻く人のレベルが上がる、
友人と絶交するたびに、自分の世界が大きく広がる、
恋人と別れるたびに、ステータスアップする、
…ということを経験してきているので、

若いころはしんどく苦しく耐えがたいように思えた「別離」も、最近は少し心が波立つくらいで、それに後ろ髪をひかれることなく前に進んでいけるようになりました。
よって、
人と縁を切る、絶交する、別れる、ということに対して、ほとんど躊躇することがありません。

さらにいえば、調舒星などあると、美意識に悖る友人関係を維持するよりは、独りでいるほうが生産的であり健やかであると感じるもので、
無理をして人間関係を維持するということもありません。

ちなみに、
友人関係の“終わり”における私のジャッジのポイントは調舒星にあります。

私の場合、西方に調舒星があるのですが、西方というのは結果の場所・現実のゴールの場所。
つまり、「友人関係の“終わり“」において発動するのはこの調舒星である、ということです。

これを言い換えれば、
その星の美意識にやる人間関係というのは、
終わらせねばならない。という言い方もできるのかもしれません。

なお、こうした「別離」について、
自分でも、「さみしくなるなあ」と思うことがあるのですが、実際にその「別離」が実現すると、すっきり感のほうが強く、
さらにいえば、そこにできた空間には、「より美意識に沿う良いもの」や「より美意識を刺激される素敵な人」が、割とすぐにやってくるように思います。

「心を許せる」「信頼できる」、そういう存在が西方でもあり、
その意味では、ある程度親しく付き合いたい相手というのは、調舒星的な、美意識を刺激される、美意識に適う存在であってほしいという思いもあります。

西方とはそういう場所。

話は変わりますが、三大奇星というのがあって、
調舒星・車騎星・龍高星の三つがそれなのですが、
これらが西方にあると、占い師さんによっては顔を曇らせて「気の毒に」といわれたりします。

調舒星は上記のような感じなので、「ふつう」にはちょっと寂しいと思う人がいそうですし、
車騎星は物事の結果において戦いに向かう、終わりなき闘争に向かうという要素を持ちます。
龍高星は創造性の先においてそれに満足することなく破壊するとか、人生の後半において放浪に向かうとかいう姿となっていく。

つまり、これらの三大奇屋には、「終わり」というものに望まれる落ち着きがまるでないことから他人視点では「気の毒」ということになるのですが、
これはあくまで他人視点での評価であって、当の本人は、むしろその「他人からは気の毒」に思われるその姿をもって至上の喜びを感じている、ということは覚えておいた方が良いだろうと思います。

西方にこれらの三大奇性を持つ人は、世間一般の常識にとらわれた「幸せ」というものに拘らないほうが良いということでもあります。

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※コメントバックが遅れていてすみません。
今週末までにやります!

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