金烏玉兎庵

小池百合子さんの政治力の源泉

昨日は、政界近くで長年活躍された方との会食に同席させていただきました。
個室でのフレンチは、目に美しく、味わい豊かであったのは言うまでもありませんでしたが、

それよりなにより、
世の中が動くその仕組み、日本の頂点で物事を決め、牽引してきた歴史上の偉人ともいうべき人たちの人物談などは、新聞や雑誌、伝記などで語られるそれよりもずっと生々しく奥行き深く、とても勉強になる時間でした。
ありがとうございます。

さて、その際に、小池百合子現東京都知事のお話なども出たのですが、それについての会話の中でふと、「そういうことなんだな」と思ったことがあったので書いておこうと思います。

小池さんというのは、「政界の渡り鳥」などと揶揄されることもあるほど、政党を渡り歩いた人ですが、
一般に、とりわけ男性であればネガティブに受け取られることが多いそうした変わり身の早さをもって女性初の都知事にまで上りつめられたのはなぜなのか?

元々、命式を見ればいかにも変わり身が早そうな感じもあり、
一方で変化を重ねるごとに飛躍していく要素のある人。
そして、トップに向かうのが自然であり、そのプロセスにおいて邪魔な「上のほうにいる人」や「先を行っている人」には近づきつつも、機が熟せば彼らを出し抜き切り捨てることができる非情さを持つ人でもあります。

ただ、それだけではなかなかできないな、と思っていました。

というのも、「宿命にそういう要素がある」という人だからといって、それを見事な形で顕現させられる人というのはそう多くなく、
たいていは、宿命として素晴らしい要素があったとしても、
環境、つまり親や兄弟などの家庭環境や自分が育ち学ぶ生活環境の影響(横槍、という言い方もできます)受け、「普通の社会に順応しやすく整えられてしまう」ものだからです。

特に日本人というのは、
国民性として多くの人が変化を嫌い、トップの苦労を厭い、
まして、その権力に向かうプロセスにおいて他人に擦り寄るばかりか、出し抜いて、さらには切り捨ててしまうなどということは、
到底、受け入れがたいと考える傾向にあります。

これはいわゆる「凡人思考」「大衆思考」というのがそういうものだということなのですが、
日本における、そういう「普通であれ」「卑怯なことはするな」みたいな風潮の中では、たとえ素養として小池さんと同じような性質を持っていたとしても、
多くの場合、その性質がマイルドに小さくまとまってしまうのが一般的。

ではなぜ、小池さんはその元々持っている、

『変わり身が早さを活用し、変化をつくり変化を重ねるごとに飛躍して、
果敢にトップに向かいつつ、柔軟に回り道をすることをも選択し、
そのプロセスにおいて邪魔な「上のほうにいる人」や「先を行っている人」には近づきつつも、機が熟せば彼らを出し抜き切り捨てる非情さ』

…を持てたのか?

…といえば、
高校を卒業した年の年末からの5年間をエジプトで過ごしたことが大きく影響しているのではないかな、と思ったのですがどうでしょう。

エジプトというのはイスラム文化圏特有の閉鎖性があり、算命学でいうところの民族的、動乱的な
環境にある国です。

とりわけ、小池さんがエジプトで過ごした5年間というのは、
1967年の第三次中東戦争が惨敗に終わり、政治的に不安定な時期。
一方、外交的・経済政策的には大きく開放に向かい始めた時期でもあり、恐らく当時のカイロというのは、ロシアのオルガルヒほどあからさまではないにせよ、富と権力が錯綜し、有象無象が跋扈していたであろうと思うのですが、

そこで、当時のエジプト大統領の令嬢と同級生であったことを最大に活かし、そのご夫人の来日をエスコートするという大役を得たあたりからは、
その独特で複雑な環境の中で道を開き生き抜いていくための智慧を、彼の地で身に着けたのであろうことが推察されます。

つまり、
小池さんの政治力の源泉というのは、そういうエジプトの複雑さの中で得た智慧なのではないかな、と思うのです。

そういう独特の複雑さがある、有象無象が跋扈する環境というのは、
まさに、
変わり身の早さや変化の創造、トップを目指して奸計をめぐらせ柔軟に対応する、
そのプロセスにおいて有力者に近づき、時勢に応じて身を処しつつ、機が熟せば彼らを出し抜き切り捨てる非情さ磨くにはもってこいの環境であっただろうと思います。

つまり、小池さんというのは、持って生まれた要素もさることながら、
その要素を最大に磨くことができる環境を得たことが、今につながる躍進、つまりは「素養を最大限に生かして活躍する」ということにつながっているのであろう、というお話です。

日本にも、明治期から戦前くらいまでは同じような独特の複雑さがあり、
その中で台頭した新興財関などや政治家というのがたくさんいました。

そもそもですが、
新興財閥の台頭とか、政治力のある政治家の活躍というのは、そういう独特の複雑さがあるような
環境でしか成り得ません。
商売とか、政治って、常に独特の複雑さがあるもの。

戦後の日本というのは、ある意味では平たくシンプルな国になりましたね。

昨今に至っては、複雑さとか有象無象とは対局的な「キレイできちんとした人」に活躍の道が供されているように思います。
そういうお膳立てがされるような社会になっているなと思います。

けれど実際に、本当に、「活躍している人」というのをよくよく見れば、
程度の差こそあれ、そういう「独特の複雑さ」の中でうまく身を処すことができる人ばかりであるなぁと思いますがどうでしょう。

もちろん、そういう本質的な活躍をする人たちを、
「シンプルでキレイできちんとした」教育を受け、そういう世界で道をお膳立てされて活躍を目指している人たちというのは非難します。
そしてときに口汚く罵ったりするのですけれど、
これはそれが「真理」なので、致し方ないところ。

ほぞを噛むか彼らに与するか、
これはその人の度量によります。

それにしても、
現代日本の富裕層といわれる人たちの多くがよくやる、裏金を使って子供を名門大学に入れるとか、コネを使って大手企業に子供を就職させるとかいうのは、
「シンプルでキレイできちんとした」世界でのんびり生きていくには役立つかもしれませんが、
本質的な意味で商売とか政治とかの世界で活躍する人間を育てるには役立たないものであるように思います。

しかし逆からいえば、
富裕層ではない人たちが彼らにとって代わる可能性の萌芽がそこにある、ということでもあるので、必ずしも悪いことではありません。

ちなみに、「シンプルでキレイできちんとした」教育をうけ、そういう世界で育ってきた人たちが活躍を目指す場合には、
彼らに「担がれる」という戦略をとるのが一番です。
その意味では、「シンプルでキレイできちんとした」人たちは「担がれるスキル」を身に着けたほうが良い人であるように思います。

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