金烏玉兎庵

ない星を目指すと人生が歪むことについて

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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昨日、徳井さんについて「財の星がない人が財に拘ってはいけない」ということを書きましたが、なぜ財の星がない人が財に拘ってはいけないかといえば、
財を適切に扱う運と素質がないひとが財に
拘り財を目指してしまうと、
財に振り回され、自分本来の道から外れ、歪んだ生き方に向かってしまうからです。

 

財の星に限らず、自分の星図にないものに拘ると人生が歪みます。

 

顔つきは険しくなり、日の目を見ることもなく誤った道を歩み続けてはまわりと衝突し、叩かれるので社会に文句を言い、最後には世の中を恨むようにすらなり、身を持ち崩していきます。

 

自分の星図にあるものを目指していると、
世の中のすべてが自分を応援してくれているような機運に恵まれたりするのですが、
ない星に拘り、ない星を目指していると、その道を阻止するような出来事に苛まされます。

 

プロセスにおいて順調に見えたとしても、ここぞというときにガツンとやられ、それまでの成果を根こそぎ取り上げられたりすることになります。

 

例えば、
友達の星がないひとが人間関係に拘ったり、
子供の星がない人が子どもの成長に拘ったり、
名誉の星がない人が名誉に拘ったり、
知性の星がない人が知性に拘ったりする、
その結果はたいてい破壊的なものになります。

 

これは「星がない」人のみならず、星が中殺されていたり、対冲にあっている場合も同様です。
(自殺する政治家というのは、名誉の星がない、あるいは中殺されているのに名誉・プライドに拘った結果ら自ら命を絶っています。)

 

よって、「星がない」「星が中殺されている」「星が対冲にあっている」
そういう人はその星に拘るのではなく「ある星」に集中し、
その延長線上において、
いってみれば間接的に、そのないものを得るのが正しい在り方といえます。

 

しかし面白いもので、世の中、ないものにこそ拘る人というのが結構います。

社会人になって大学院(それも本人のキャリアに直接関係ない分野の)にいくのはたいてい知性の星がない人ですし、
財のために無理・無茶をするのも財の星がないひとであったりします。

 

このあたりは、
前に「リスクを知らない人は極端な仮想リスクで身動きが取れなくなる」ということを書いたのと同様に、自分にない星の要素を知らない(良い面しか見ることができない)、そのために極端に走ってしまうことの結果なのですが、そういう「極端」が人生を歪めていきます。

単に自分の人生が歪むだけならまだ良いですが、配偶者や子ども、あるいは親など、自分の一番大切な身近な人の人生が歪むこともあるので注意が必要です。

 

なお、だいたいにおいてそういう人は、
見る人が見れば「なんか変」「バランスが崩れてる」ということに気づくのですが、
世の中、そういう人を無責任に持ち上げる人たちもいて、個人的にはバランスを崩している人よりそういう人の方が罪深いな、と思います。

 

例えば、
モノをたくさん知っているだけの人を「頭がいい」と評価して持ち上げたり、
節約してせっせと貯め込む人を「堅実」と評価したりします。
(知性は知識を活用できてこそのものですし、財は巡らせることが大事です。)

 

こういう人に人の人生を歪めているという自覚はないと思いますし、
その評価者自体がものの本質を捉える能力を欠いていることもよくあるのですが、
その星がないような人は、そういう「軽くて適当で無責任な言葉」を間に受けてせっせと知識の蓄積や蓄財に励んでしまい、結果として人生を大きく、そして修正不可能なほどに歪めてしまいます。

 

本来、知識の蓄積が得意なタイプは技術の習得に努めると知性のある人を凌駕する技量を備えますし、
蓄財に励む人はその目的を明確にすることでより有効な活動に積極的に取り組むことができます。

 

財の星がないのに財をダイレクトに目指すとか、
名誉の星がないのに名誉に固執するような人というのは、
基本的に精神が未成熟であることが原因です。

 

世界と自分の認識が不十分で、自分自身のあり方や方向性が未成熟である結果、
自分の価値観ではなく世の中の価値観・世の中の評価で生きてるので短絡的に「ない星」を目指すことになり人生を歪めることになります。

 

自分が星図に持つ星を丁寧に燃焼させていき、結果として財なり知性なりを得るプロセスを生きるには人間的な成熟が必要ですが、
それこそが遠回りなようで最も確実な自分の人生の開かせ方ではないかと思います。

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