金烏玉兎庵

「他人を粗末に扱う人」から離れること

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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割と同じようなことを繰り返し書いているのですけれど、
自分のことを粗末に扱う人というのは、関わらなくていいんだろうと思っています。

ある時点で、スーッと身を引ければいいですが、
そうでなければ徹底的に、完膚なきまでに攻撃してでも、離れたほうがいいと私は思っています。

…このあたりは星の並びにもよりますが。
例えば金性の星がない人でも、基本的に人間は「五行を備える」ということはベーシカルなところでは必要で、
たとえ禄存星のような奉仕の星や、石門星のような和合性の星があったとしても、
「自分のことを粗末に扱う人とは関わらない」ということはある程度必要なのではないかと思います。

私は、自分の友人や家族、関わる人というのはとても狭いですが、その分厳選しているので、とても大切にしています。
(Facebookの「友達」は700人を超えると、誰かしら削除して700人以内をキープしています)
なので、私はそういう自分の身近な人が、「粗末に扱われる」のを見るのも耐え難かったりします。

「自分の大切な人を粗末に扱う人は許さない」みたいな。

だいたいにおいて他人を粗末に扱う人というのは、
例えば私や私の身近にいる人だけではなく、
基本的に、誰に対してもそういう「他人を担末に扱う」性質があるので、親しい友人にも、そういう人とは関わらないことを強く推奨しています。

何か月か前、
知り合いが、「激辛料理を食べる会」、というのを募集していていて、それに手を挙げている人たちが明らかにヤバそうなのを見つつ、余程ヒマな人が参加するんだろうな、と思っていたら、
「激辛料理がキライな」親しい友人が、そのヤバそうな激辛料理の会に「個別に」誘われていたということがありました。

誘った方はその友人のことが好きで、サシで誘うのは憚られたので「公開募集」というテイを装って募集し、重ねて個別に誘ったのだろうと思うのですが、
ハタからみると、何の配慮もなく、かなり自己中心的かつ強引で、他人事ながら、「こんなに粗末に扱う人に好かれているその友人」が気の毒になってしまいました。(行かなかったようですが)

こういうことを書くと、
ずいぶん神経質ですね、といわれることもあるのですけれど、
余程ヒマで時間を持て余しているなら別にして、限りある時間をどんな人と付き合うか、ということを考えれば、
そういう人に費やす時間ってないだろうと思いますし、

もし、他人に自分をそんなふうに扱うことを許している人がいるとしたら、
その人は、まだまだ「自分」というものを信じていない人であろうと思います。

あるいは、その人自身が「他人を粗末に扱う」質があるので、自分が粗末に扱われても気にしないんじゃないかな、と思いますがいかがでしょうか。

自分のことを大切にするために、
自分のことを粗末に扱わせないために、
関わる人を選ぶというのはとても大切です。

とはいえ、こういうことは、若いころはなかなか分かりません。
あるいは、「きちんと丁寧に扱ってくれる人」と出会ったり、そういう人ときちんと関係を築いた経験がなければ、
そもそも自分が「粗末に扱われている」ということにさえ気づかない人というのもけっこういます。

結果として、「他人を丁寧に扱う」ということをまったくもって知らない人というのもいて、
それゆえに、無自覚に他人を粗末に扱っているということもあるとは思うのですが、
そういう人は、どこかで気付くしかないのだろうと思います。

その意味では、私はひとが「自分を粗末に扱う」ということについて明確に拒絶しますし、
まわりのひとが「粗末に扱われている」という状況を、くっきりはっきり糾弾します。

その結果、「他人を粗末に扱っている」ということについて、気づく人、反省する人がいるといいな、という思いもあります。

これは、一つの「拘り」なのですが、
一つのことへの「拘り」をきちんと健やかに発揮できるようになると、他の面でもきちんと「拘り」を発揮できるようになります。

「拘り」なく、なんとなく適当に扱われるのを緩慢に流し見ていると、いつまでたっても人生は「くっきり」はしません。
…拘りなく生きていると、そのこと自体にも気づけなかったりするのですが。

余談ですが、
何年か前、近所の人がクラウドファンディングをしたときに、いきなりコピペの「お願い文」を送り付けてきたことがあって、
あまりに失礼な人だな、と私はそのとき激怒したのですが、
先日、それについて友人が「あれは許せなかった!」ということを言っていて、この人も同じ感覚なんだな、と安心したことがあります。

一方で、その失礼なコピペでそのプロジェクトを応援した人たちというのは、いまだにそのお店のFacebookページに「いいね」などしているのですが、
そのお店を応援している人たちをみていると、
主体性がないというか、なんとなく「自分を大切にする」という視点が欠けている人が多いな、という印象を受けています。

そういう「自分を粗末に扱う」人を放置していると、いつまでたっても人生はくっきりと発展できないんだな…というのを、そういうところに感じたりしているこの頃。

…ぜひ、まわりを観察してみてくださいませ。
Facebookに限らず、まわりを見ていると、おもしろい発見がたくさんあります。

算命学の勉強は、机上のものばかりではありません。

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命式を知ると自分がくっきりします。
自分を大切にすることに抵抗がなくなるように思います。

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