金烏玉兎庵

自分のスタイルなしには多分生きていけない。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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会社などで働いていると、
「自分の役割を勘違いしたことによって消されていく人」
というのをときどき見かけます。

あるいは、
「やる気満々で、いいことばかり言うけれど、一向に行動に移さない人」
というのもいますね。

役割を勘違いしている人も、
景気のいいことばかり言う人も、
何か月とか、せいぜい何年かくらいなら、
なんとなく人の目もごまかせるものですけれど、
5年くらいをすぎれば、たいていメッキがはがれます。

そういう人は、見る人が見れば一目見て分かりますが、
それでもそういう人たちが淘汰されていくまでには、3年とか5年とか相応の期間がかかることもあるもの。

その意味では、
その3年とか5年というのは、
「そういう人たち」にとってはモラトリアムであり、
彼らを取り巻く人たちにとっては忍耐のとき、ということになります。

ちなみに、
分からない人や分かっても気にならない人には別に忍耐でも何でもありませんが、
「そういう人たち」の無益さが気にならないという点について少し気にした方が良いかもしれません。

役割を勘違いしている人も、
景気のいいことばかり言っていっこうに行動が伴わない人も、
あるべき姿を顕現していない、という意味で、
算命学という観点でいえば、「淘汰されて然るべき人」ということになります。

話は少し変わりますが、
単にお金を稼ぐ、ということと、東方の星でお金を稼ぐ、というのは、
根本的にそこで感じる「豊かさ」というのが異なります。

単にお金を稼ぐなら、
スキルとか人脈とかそういう何かがあればまぁ稼げるのですけれど、
東方の星で稼ぐというのは、
自分のエネルギーを自分らしく発揮していくことで稼げるということであり、
自分が自分らしく気分良くあることで稼げるということなので、
パキッとはまればある意味青天井で稼ぐことができたりします。

こうした「自分らしく稼ぐ」ということに必要なのは、
「自分がこの方向でエネルギーを発揮することで気分が良くなる」
という気づきです。

この気づきは、
何もしなくても気付けるという類のものではなく、
実際にその仕事をやってみて「これは心地よくやれる」という体験や、
様々な人に囲まれて彼らの稼ぎ方を眺めつつ、「自分の方がよほどうまくできる」という経験をすることで得られるもの、気付けるものであるので、

自分らしさを見つめることなく「世間のものさし」で行動する人や、
舌先三寸で世の中を要領よくわたっていく、行動を伴わないような人というのは、
健やかなエネルギーの発揮や、気分良くお金を稼ぐところには行きつきにくいのだろうと思います。

さて、冒頭の話とこのことを合わせれば、

役割を勘違いしている人や、
景気のいいことばかり言うひとというのは、
まわりにとってはもちろん、本人にとっても良いことはなにもないですよ、というお話です。

自分らしく健やかに生きる方法、
心地よくエネルギーを発揮していく道、
というのは、
現代の効率主義や見た目重視な風潮のもとではなかなか見つけにくいものですけれど、
真摯に一つ一つ体験しつつ、自分がどう感じるのか反応するのかを観察していくことさえすれば、
案外とすんなりと分かるものでもあります。

なんでも「ラクに」「効率よく」とか、
中身はなくても見栄え良く…というような貧相な発想からは貧相な結果しか得られません。

真摯に自分の道を探し見つけることが、健やかに充実した人生を送るための最も確実な道であろうと考えます。

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