金烏玉兎庵

父の思い出と対冲とリカバリ

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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昔は「年を取りたくない」という方がけっこうおられたようですが、
最近は、「若い頃に戻りたくない」という人が私のまわりには多いように思います。

私自身、もう一度10代からとか、もう一度20代から、などいわれると、
「あのたいへんだった時期をまたやるんですか…。」
と、しょげ返ってしまいそうです。

それぞれに楽しく、ときに華やかでもあり、充実した時間でしたが、
戻って変えたいことがあるとすれば、
父のことを心から尊敬していると、あなたの子供で生まれて世界一幸せだったと伝えたい、
それくらいしか思い浮かびません。

20代の後半くらいからは、二週に一度ずつ実家に帰り、ゴルフの練習をしたりニュースに文句を言ったり、選挙特番をみてあれこれ語ったり、
後悔しないようにできるだけ父との時間を過ごしましたけれど、
それでも、荒れていた十代の頃の親不孝をどれだけリカバリできたか…。

…心残りがあるとすればそれくらいで、
それを除けば、戻るよりも今の人生のほうがいいなと思います。割と今の自分とその状況に満足です。

さて、
宿命に対冲があるような人は、人間関係にせよ、何かの取り組みにせよ、
何かしらケンカしたり失敗したり、壊したところからが本当のスタートになります。

新しいチームに入って、さぁ何かを始めよう!というようなとき、
対冲などがあるとなかなかすんなりと入っては生きにくい傾向にありますが、
一度そこで失敗する、あるいは誰かと衝突する、みたいなことがあってそれを乗り越えると、
その後はスムーズにチームに同化していくことができます。

恋人関係などにおいても、
一度別れ話をしたところからが本当のスタート、みたいな。
それまでは、どこか借りてきた猫みたいな付き合いになったりして。

あるいは、
マイナポータルなどでも、
なぜか最初の設定では必ず何か失敗して足止めを食らい、
その失敗を乗り越えたら、その後はスムーズに使いこなせるようになる、とか。

対冲というのは、正反対の位置関係にありますが、これは対立し衝突した先に新たな気づき、新たな次元に向かうという意味があります。
よって、対冲があるような人は、
何か衝突したり、ケンカをしたり、失敗したりしても、
それであきらめてはもったいない、次は成功できる人です。
(もちろん、次元が上がらない=無意味なことは、その衝突で消えてなくなりますが)

いずれにしても、一度壊すことで新たな道に向かうことができるのが対冲なので、
その意味では、何か大事なことをするときは、
最初に軽めの何かで失敗して、本番に向かう、というような、二段階のシステムを組んでおくというのも良いかもしれません。

ちなみに、私と父との関係は、
最初(幼少期)は恐れ多い存在で、対等に会話をすることができない時期であり、
その後、大学受験のころに大喧嘩をし、
しかし結局、自分の希望だった国文学(万葉仮名の勉強をしたく)ではなく父の勧めた法学部に進学して以降は、
割と大人同士として様々に会話ができる関係を築くことができたのですが、

それも対冲があったからなのだろうなぁと思い返しつつ、
「衝突の後のリカバリ」に、もっと全力で取り組んでいればよかったな、と思うことがあります。
その衝突が、リカバリすることが可能なもので、リカバリした先に、より高い次元の道に向かうと知っていたら、
もっと全力でリカバリに取り組んで、それにより生産的で、もっと密度の高い会話ができたのではないか、とか。

いや、20代以降はおそらく普通の父娘より私は父と会話をたくさんしたほうだと思うのです。
それでも、そんなふうに「もっと」と思います。

何を言いたいかといえば、

対冲というのは、壊れたところからがスタートなのですが、
壊していいものと壊して後悔するものがあり、
例えば大切なものを壊してしまったときは、
「これをリカバリするのはちょっと無理」とあきらめたり、
「そのうち自然にリカバリできるでしょう」と放置したりすることなく、
タイムラグなくしてさっさとリカバリに取り組んだほうが、
後悔もないし、生産的ですよ、というお話です。

対冲で壊れたものは、角度を変えることでリカバリできます。
新たな道に向かうことでリカバリすることが出来る。

そのことを知らないと、
その対冲で壊したもの、壊れたものが「覆水盆に返らないもの」と思って投げ出してしまう人が多いのですが(私もでした)
きちんと取り組めば、別の角度、新たな道においてリカバリすることができます。

そのことを覚えておくと、対冲がある人の生き方はずいぶん楽になるんじゃないかな、と思い、書いてみました。

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