金烏玉兎庵

宿命中殺がある人と二極化

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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宿命中殺がある人というのは、宿命中殺がない人と「当たり前」の範囲が異なります。

例えば、さぁ勉強しようと思い立って着手したら、徹底的にそれをやる。
「やる」と決めたら徹底的にやるのが「当たり前」であり、他の人がどうだとか、一般的にはこうだとか、そういう平均とか普通とかいうものにまったくもって頓着せず、とことんやるのが宿命中殺がある人の在り方です。

これは、宿命中殺の構造をちょっと真面目に考えれば普通に分かることで、
中殺された星というのは、普通とか常識という枠がなくなるので、結果として徹底的になる、ということ。

もちろん、「徹底的にやらない」ということも、選択肢としてはもちろんあります。
けれど、宿命中殺があるのに、常識とか普通とかいう枠組みの中を生きようとすると陰転します。

枠がないのに枠があるかのように振る舞えば、ひとまず世間的には「ふつうの人」、「常識的な人」として認知され、なんとなく生きやすくはなるのですが、
自分の本質を抑え込み、我慢し誤魔化し生きていると、どこかで爆発するか、起爆力を失うかどちらかになります。

ちなみに、
爆発はしないよりはする方がマシ。
爆発すれば枠を超えて本質を消化することに向かうことができますけれど、
爆発しないということは、もはや宿命中殺の壮大な世界を生きることができないことを意味するので、暗室に咲く向日葵のような生き方となっていきます。

「徹底的にやる」
というのはある面ではリスクです。
その「徹底的」の方向が誤っていたらリカバリ不能のダメージを被る可能性があります。
それでも、「徹底的」にやらないと、宿命中殺のある人は陰転するように思います。

最近思うのですが、
世の中がなんとなく自由な感じになってきて、
宿命中殺をもつ人が、「徹底的に」をやりやすくなった感じがありますね。
…それが二極化の一つの原因なのではないかな?と思うのですがどうでしょう。

徹底的にやる宿命中殺のある人は瞬く間に次元を上げ、発展していく一方、
「普通」とか「常識」にしがみついている宿命中殺のある人は、どんどん停滞し、凝り固まり、取り残されていく。
…なんとなく、そんなことをよく感じるこの頃。

これは、言い換えれば、
普通の人(中殺がない人)よりずっと世の中に対して大きなインパクトを与える宿命中殺がある人の生き方、発展の仕方というのは、大げさでなく、リアルに世界に与える影響が大きいだろうということです。

同じことが、異常干支があるような人にもいえます。
異常干支がある人が「徹底的」に向かえば大きく発展し、逆に異常干支があるのに「常識」に囚われているとやはり停滞していっているように感じられます。

みんなが何かに縛られて、身動きが取れなかった時代では多くが陰転に向かわざるを得なかったので目立たなかったそういう「差」というのが、
最近は世の中が自由になったことで、くっきり明確に露呈してきたなぁと思います。

これは、
ご相談を受けてお伝えしたことを、
きっちり実践する人と右から左に流してしまう人というのがおられて、
「徹底的」なのはきっちり実践する人、
「常識」に縛られている人は右から左に流している、というような印象があり、
そんなことを眺めつつ気づいたことなのですが、

それをもって今真剣に考えているのは、
そのきっちり実践する人が、どれだけ飛躍するだろうか?ということ。
只今現在、それを真面目に検証しようとしていて、
定期的なフォローアップなどを試験的に始めたのですが、有意の結果が出たらプログラム化してみようと思っています。

「ご相談」ではなく「フォローアップ」であることにより、多少厳しめなことを伝えやすくなったり、強めの提案がしやすくなる、というのがこのアプローチの利点で、算命学を単なる「占い」ではなく「活用」することを推進できるのが良いです。

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