金烏玉兎庵

「親切な人」は活躍できない?人生を切り開く上で必要な貫索星、石門星

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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親切な人
というのは、案外と活躍するのがしかったりします。
「これはあの人の仕事につながるかも?」と間に立ってつないだり、
「この話、あの人は喜ぶかも?」と流れてくる情報を片端からシェアしたり、
「あの人のイベントごとだから行ってあげよう!」と一生懸命自分の時間を割いて他人を応援してみたり。
…こういう人で活躍している人はまずいない、と思うのですがいかがでしょうか。

それぞれは、親切なことであり悪いことではないのですが、
それを業として(=有料で)やっている場合は別にして、
親切で、ボランティアで、何かのお手伝いで、それをしている、し続けている人、というのは、
一生誰かにいいように使われ、一生誰かのお手伝いをし、生涯「自分の人生」を生きることのない、
せっかく与えられて命を、本来の役割のために生かすということを放棄した、ダメな人だろうと思います。

ちょっと過激ですみません。

最近は減りましたが、「インフルエンサー」というのが流行っていた時期に、
無料で、勝手に、インフルエンサーもどきなことをする人たちが大量発生しました。
あるいは、
Facebookのイベントページを使って、素人が〇〇教室、みたいなのを無料で開催するようなのも雨後の筍のようにあちこちに登場しました。

そういう人たちは、
無駄で無益な情報をまき散らした挙句にマーケットから退場していかれたわけですが、
良かった点は、
世の中的にはマーケット規模が広がった一方でアンプロフェッショナルなものが淘汰されたことにより、プロフェッショナルな人たちが順当に潤うようになった点、
そして本人たちにとっては、早い段階で淘汰されたことにより、改めて本来の道へ向かう機会を得られたという点です。

しかし、上記に挙げた「親切な人」というのは、こういう流れを人生をかけてやっているので、ダメな人、と書いた次第。

海外ドラマ『グッドワイフ』の序盤、主人公アリシアが専業主婦から弁護士に復帰をしてまだ日が浅いころに、かつてのママ友の息子がアリシアを頼って相談に来たというお話がありました。
ママ友の息子の相談ということで、上司が「やりにくいだろうからほかの人に代わってもいい」と言ったのを、
「既にそのママ友とは縁が切れているのでやりにくくはないが、この件は別の人に任せ、自分はそのサポートをします」と断ります。

この意味が分かるでしょうか。
恐らくここでアリシアは、
①自分がまだ復帰して日が浅いので自信がない
②(まだ新参者だし)案件をガツガツ取りに行く、囲い込むようなことはしたくない
③案件を紹介すればそれで事務所の役に立つでしょう
という3つの理由が頭の中にはあっただろうと思うのです。

こういう思考は専業主婦の世界、ママ友の世界ででは美徳とされることもあるので、当然といえば当然です。

…が、ある程度大人の世界、本気の世界で生きている人はお分かりと思いますが、
(その意味で専業主婦やママ友の世界は遠慮することで調和が保たれる世界ともいえます)
こういう思考をビジネスシーンですれば「顔を洗って出直してこい」と怒鳴られるか、存在をスルーされるようになるか、あるいはいいように使われるお手伝い要員に堕してしまいます。

ビジネスシーン、と書きましたが、
これは「本気の世界」ということで、

本気の世界を生きるとは、
自分が責任をもって生きるということ。
つまり、「I am」あるいは「We are」の観念を生きる、ということです。
(ちなみにこの英語の「We」は「私たち」ち訳されますが、基本的にこの「We」というのは使っている本人が陣頭に立つ、責任を持つなどきちんと主体性を持っているときに使うもので、誰かに従属している場合や、誰かを手伝うだけなど主体性がない場合には本来「We」を使うべきではありません。)

ちなみに、「I am」は貫索星、「We are」は石門星の観念です。

昨日、貫索星、石門星は自己確立の星だということを書きましたが、
人生を本質的に生きる、人生を切り開く、ということのためには、
その自己確立、「私がやる」「私が主体的に関わる私たちがやる」というのが不可欠で、それ無くしてやる「親切な人」というのは使われるまま、流されるままの人生となりますよ、ということです。

なお、補足ですが、
星図に貫索星・石門星がないような人、
あるいは従化五格に入っているような人や破格の人などは「従うこと」で陽転することもあるのですが、その場合には「何に従うか」「誰に従うか」その対象が極めて重大な意味を持ちます。
よって、のべつ幕なしに「親切」にすることは、こういう人たちにとっても良いことにはなりません。

※昨日、貫索星・石門星について自力で生きていける人、ということを書きましたが、それについての補足の意味で書きました。
貫索星・石門星の強いような人は、何かに乗っかって生きようとしたり、誰かに頼り切ったり組織に依存し切ったりして生きようとしたりするとしんどいように思います。
印象ですが、そういうタイプの貫索星・石門星が強いような人は、顔が割とどんよりと暗めになります。
心当たりのある方は、生き方を見直してみると良いかもしれません。

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