金烏玉兎庵

牽牛星・玉堂星の矜恃

昨日書いた玉堂星と牽牛星は「きちんとする」ことが大事ということについて、玉堂星のある方が、

○「きちんとして見られる」ことを昔からずっと不思議に思っていました。
○ダメージジーンズなど傷んだファッションや緩いファッションは全く似合わない。

ということをFacebookのにコメントをくださいました。ありがとうございます。
そうだろうなと思います。

これに付随して、書き忘れていたことを書いておきます。

私は主星が牽牛星なのですが、
知り合った頃に、
「ありがとう」ではなく「ありがと」、
「おはよう」ではなく「おはよ」、
と、書いてメッセージをくれた人がいて、

まだ知り合ってそれほど経っていなかったのに、
「ちゃんと“う”をつけないとダメだよ。」
と指摘したことがあります。

私はその“う”を端折る感じが落ち着かず、
きちんと「おはよう」「ありがとう」と書かれないと違和感を感じたのでそれをそのまま伝えたのですが、
その人は、それを素直にきいてくれて以来「おはよ」「ありがと」と“う”を端折って書いてくることはなくなりました。
以来7年くらい、今もその人は私にとって最も親しい友人のうちの一人です。

会社の先輩と仲良くなった頃に、
私のことを「おまえ」と呼び出して、
その人は私より5歳くらい年上の人でしたけれど、
「おまえ」と呼ぶのは失礼だと指摘したら、
以来その先輩が私を「おまえ」と呼ぶことはなくなりました。
以来、10年くらい、その人は私にとって最も尊敬する先輩の一人です。

先日、玉堂星や牽牛星は、多少慇懃なくらい「きちんとする」ことが道を開くということを書きましたが、
同じように、
「自分のことをきちんと扱ってくれる」
人でなければ付き合うべきではないだろうとも思います。

牽牛星にとって、
「きちんと扱ってくれる人」が、「仕えるに足る」「尊崇の念を抱く」ことに足る相手であり、
交友交際を続けるに足る人であり、
自分の在り方を全きものとして発揮していくことができる、
自分の道を開いてくれる存在です。

玉堂星にとっては、
「きちんと扱ってくれる」人が「正統であること」「賢母の誇り」に自負自信を抱かしめ、その姿を尊いものにしてくれる存在であり、
その尊いものを継承するに足る相手であり、
自分の在り方を全きものとして発揮していくことができる、
自分の道を開いてくれる存在です。

よって牽牛星や玉堂星は、
自分が「きちんとする」のと同じように、
相手も自分に対して「きちんとする」人でなければ、付き合う必要はなく、
付き合うことで自分が歪んでしまうように思います。

そんなことをしていては、
友達ができなくないですか?
人が離れていかないですか?
というのはごもっともながら、

自分が歪む、
自分を歪める人と付き合って、
その後リカバリに費やす時間と労力を考えれば、
先にその選択をしておくほうが良いのは自明のこと。

それでも30代までならそれも良し。
それにより学んで改め、道を正すことも出来ますが、
40代を過ぎてその大切なところで妥協をしては、余程何か大きなきっかけでもないことにはリカバリが難しくなるように思います。

とはいえ、
これは取り分け個人で事業をされる方、
自身の裁量で会社の経営などをされている方には
死活問題になることがあります。

商売においては、
ときにずるいことも必要ですし、
客をつなぎ止めるには嘘もつき、
長く続けることのためには妥協をすることが求められるものでもあります。

その意味で、牽牛星や玉堂星というのは、本質的に「商売をする」ことには向かないかもしれません。

だからこそ、
清濁を超えて人にサービスを提供できる禄存星や司禄星、
守るためのもののためにはその他を歪めることもできる貫索星、
清濁合わせ飲むのが本旨である石門星などが商売の世界には向くのだろうと思います。

牽牛星や玉堂星が商売をしてはいけない、
ということではありません。
但し、
お客様に毅然として在ることができ、
そのお客様がその商品やサービスを提供するに足る相手であることが必須であるように思います。

ということは、
自分がそれだけ質が高く、価値が高く、尊崇の念を抱かしめる何かを提供できなければならないということで、
ときに相手が客であったとしても厳しいことをいう、
客を選びときに客を拒絶する、
という強さが必要だということでもあります。

結果として、
牽牛星が商売をすると「武士は食わねど高楊枝」、
玉堂星が商売をすると「象牙の塔で商売は出来ない」、
などということになるのですが、それは必ずしも悪いことではなく、星の本旨沿うという意味ではむしろ望ましく、
つまるところ、
牽牛星や玉堂星というのは自らせっせと集客するのではなく、
敬って客が推参するような場所で成り立つ商売をする、そのために研鑚を重ねるのが正しいだろうと思います。

なお、こうした星の「あるべき在り方」というのは、その星の位置を見ればよく分かります。

       龍高・玉堂
         |

車騎・牽牛ー 禄存・司禄 ー関索・石門

         |
       鳳閣・調舒

あるべき在り方であるのが健やかな在り方です。

✳︎昨日は、蒼い桜がキレイでした。

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