金烏玉兎庵

玉堂星の役割と制約(昨日の補足)

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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昨日の玉堂星についての投稿、

「玉堂政は、母親の星、母国の星といわれますが、この玉堂星の役割は他の星では代替できない不可侵の役割を担う一方で、
他の星よりも多くの制約を受ける星でもあります」
…と書いたことについて、多くの方から質問をいただきました。
ありがとうございます。

これについて補足します。

①不可侵の役割とは
まず、大前提として玉堂星というのを正確にいえば「正母の星」です。
自分を生んでくれるのは母親は一人だけ。
物理的な血のつながりのある母親はこの世界に一人だけ。
なので、その母親は唯一無二の存在であり、代替のきかない役目を果たす存在であり、その役割は他の存在からは侵すことのできないものであります。

よって、自分の星図の中に玉堂星を持つ人は、
自分の環境の中に母親がいる人、ということなので、
実母に育てられることが大切な要素となる人でもあります。

②多くの制約とは
玉堂星(正母)の姿というのは、
・慈愛をもって正しい知識を子に継承していく
・家系に伝わる伝統や文化を子に継承していく
・家系の伝統や文化に誇りを持ち、その伝統や文化に誇りを持つことの意義を子に伝えていく
ということにあるため、不可侵の役割を持つことの反射として、これらの義務を確実に果たしていく、という義務、バンドルの強い制約を負う、ということになります。
(子がいない場合においても、玉堂星の本質は正母の姿なので、上記のような心根をもつことが大事です)

以上が玉堂星(正母)の姿であり、その役割と制約なのですが、
これらを敷衍すれば、
例えば、
・古来から伝わる文化を尊び誇りをもって継承していく役割を果たす
・祖国に誇りを持ち、異国にあって祖国を思い、祖国の代表として祖国の技術や文化を伝え担う
・自分を育んでくれたものへの敬慕の念を背景としての世の中で活躍していく
…というような姿もまた、玉堂星的な在り方ということになります。

よって、必ずしも玉堂星のある人が、
・母親にならなければならない
・自国のために身を捧げなければならない
・伝統文化を学ばなければならない
ということではありません。

実際、私のまわりには玉堂星をもって海外に暮らしている友人もいますし、玉堂星をもって日本から海外に向かって発信している人も多くいます。
彼らは伸び伸びと健やかにそうした海外での生活や海外に絡む生活を楽しんでいますし、活躍もされています。

それは本当に素晴らしいことですし、
私自身、彼らを応援しています。

但し。
それでも玉堂星は「祖国に帰る」という意識
「日本という国に立脚している」という意識がなければならないだろうとも思っています。
これは、これまで様々に命式を拝見してきたうえでなお思うことなのですが、
玉堂星というのは、祖国を捨ててはいけない星だと思っています。
祖国=母親ともいえるわけですが、
正母、実母の星である玉堂星は、その母親や祖国とのつながりがほかの星よりも強く結びついているため、それに付随してほかの星よりも制約が強いのだろうと考えます。

前に書いたかもしれませんが、
アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲医師という方がおられます。
この方は、中央と東に玉堂星がある方(中殺なし)ですが、
その半生を海外で過ごし、その海外での活躍により勲章まで受けられました。
つまり、玉堂星をもって海外で活躍されたわけですが、その活躍の最中にも、家族は日本にあり、定期的に日本に帰ってきていた(=祖国を捨ててはいなかった)そうです。

しかし、銃弾に倒れられる前の最後の帰国の際は、どうも「完全にアフガニスタンに拠点を移す」「アフガニスタンに骨を埋める」覚悟をしていた節があり、
私はそれが彼の玉堂星を損ない、結果として銃弾に倒れるという最期につながったのではないか、と考えています。

このあたりは、クリス・リードさんのケースでも同じような印象を持ちましたため、昨日はそのことを書いた次第。

そんなわけで私は、
玉堂星は母親や祖国を離れたとしても、いつかはそこに戻らねばならない、その役割を持つ星、
その戻る意識を持ちつつ母親や祖国に恥じない誇りをもってあらねばならない星、
だろうと思っています。

なお、玉堂星ほどではないにせよ、同じような制約のある星に牽牛星があります。
牽牛星は文官の星であり、玉堂星同様に誇りを持つことが大切な星なのですが、それゆえに、
誇れるもののない牽牛星、
役割、地位、身分がまったくない牽牛星、
尊崇の念をもって仕える対象(人に限らず)のない牽牛星、
というのも、賢母の誇りを持たない玉堂星同様に身を持ち崩すように思います。
(だから、牽牛星のある人は、若いうちに難しめの資格をとるとか、寄らば大樹といえるような世界に身をおくべきといわれますね)

玉堂星の誇りは、母親や家系、祖国に恥じない自分であるための誇り、
牽牛星の誇りは、役目役割を果たし、仕える対象に恥じない自分であるための誇り、
と、その背景は異なりますが、
ともに誇れない行動や在り方は自身の姿を歪め、人生を陰転に導きます。

ずいぶん前に、玉堂星や牽牛星がある人は、庶民的過ぎると良くない、ということを書いたことがありますが、
彼らは安物買いはするべきではないですし、
由緒由縁のないものを選択するべきではないように思います。

例えば、人にご挨拶などでものを差し上げる際などは、
多少慇懃なくらいにきちんとしたものを差し上げたほうがその星の在り方にそぐいます。
まちがっても家にあったものの余りものとか、人様にもらったものをそれらしく包みなおして差し上げるようなことをしては、その星の在り方に悖るというもの。

玉堂星や牽牛星のある人というのは、人に「きちんとした人」という印象を与えるので、その「きちんとした人」が庶民的過ぎる行動をとるとまわりは違和感を覚えますし、同じことを庶民的な星を持つ人がする場合よりはるかに悪い印象を与えます。
どこか崩れているような風情を感じさせ、実際そのように身を持ち崩していきます。

庶民的な星といえば土性の星ですが、玉堂星は土剋水と剋されて濁ります。
大衆の星は火性の星ですが、牽牛星は火剋金と剋されて歪みます。

玉堂星や牽牛星があるようなひとは、
多少背伸びをしてでも「きちんとする」ことがその後の人間関係や人生を開いていきます。

これもある面からみれば「制約」なわけですが、
その課された制約を果たしていくことで陽転にもつながります。
ぜひその「制約」を特権としてとらえて、楽しんで消化していくことをおすすめいたします。

以上、長くなりましたが、昨日書いたことの補足として書きました。

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