金烏玉兎庵

星の意味の一極二元とアウフヘーベン

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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先日、司禄星と身強星のセットについて書きましたら、
「司禄星がお嫌いですか?」
というコメントを頂きました。

なんとなく「小心翼々」と書いたのが気に障ったのかな?と思いますが、このあたりは、
一般的に書かれる語義である
「気が小さくてびくびくしているさま。」
を思い浮かべてそのように思われたのかもしれません。
(司禄星というのは不安に根差しているというのが本義なので、そういう面も当然にありますが)

しかし、この言葉の語義語源を紐解けば、
「小心」とは小さなことまで気を遣うことであり、
「翼々」とは敬い慎む様子を示すので、
司禄星がまさに家庭における良妻の姿であるといわれるとおり、慎ましく細かいところにまで気を配るという美徳を示す言葉でもあります。

算命学の大原則である一極二元の考え方に立ち戻れば、どのような資質も良い面と悪い面があるので、「小心翼々」という資質についてもその両面に思いを致すことが必要だろうと思います。

算命学の勉強をされている方で、
その多くをブログやネットの情報に頼っている場合によくみられる傾向として、
「都合の良いところのいいとこ取り」
「耳に痛いところの素通り」
というのがあります。

その意味では、こういう方が、
「本格的に算命学を学ぶ」
ことを始めるにあたってまず最初にぶつかるのが恐らくこの一極二元の視点で、
それまでポジティブな面ばかりをみていた事柄(自分の星の意味など)のネガティブな面を知って心が折れ、勉強するのをやめました、というお話はよく聞きます。

少し前に、『占い師が最後に辿りつく占い「算命学」』というブログを書いておられる瑠子先生が、算命学を最後まで学ぶことができない方の理由として
「宿命を直視できなかった」
というのを挙げておられましたが、
こちら:https://gamp.ameblo.jp/ruko-sanmeigaku/entry-12574328557.html

確かにそうだろうな、と思いました。

その意味では、それぞれの星のネガティブな意味を語れるようになって初めて算命学を学ぶ第一歩が始まるともいえるように思います。

例えば、
牽牛星などはプライドの星、組織人の星などといわれますが、大きな組織を誇れる反面、その組織に逆らうことのない小心者といわれたりしますし、
玉堂星などは正統な学問の星、生母の星などといわれますが、謀略や策略をめぐらせる狡猾さとして現れることもあります。

貫索星などは頑固で一本気な星ですけれど、甘やかされて育つと単なる我儘にも育ちますし、
鳳閣星などはのんびりおおらかで心地の良い星ですけれど、大雑把で怠け者に見えることもあります。

よくよく考えれば、
こうした星の姿はいずれも一つの星を両サイドから光をあてれば見える姿であり、
こうした両面を知って初めて星の全体像を掴むことができ、また活用することができるようにもなります。

これから算命学を学ばれる方は、
こうした一極二元の視点をしっかりと持ち、ネガティブな面にも対峙していくことをお勧めいたします。

ネガティブな面というのは、無視すれば大きくなります。
見つめ、取り組むことができれば昇華することができ、高次の次元でそのあり方を体現することができるようになります。

このあたりは、弁証法における「アウフヘーベン」のようなもので、こうした両面を超越して高い次元に止まることができるようになる、ともいえます。
アウフヘーベンは日本語で「止揚」といいますが、この言葉の示す世界観を念頭に、一つの星の良い面と悪い面に向き合っていけば、心折れることなく算命学の一極二元を体得できるのではないかと思います。

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