金烏玉兎庵

天中殺グループと陰占、陽占を使い分ける

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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先日、部下育てに向かないタイプとして、陽占の中央と南が同じ星の人、という例を挙げましたらこれについて、

『申酉は時に部下をライバルとみてキツい態度取る人が多い感じが。
先の野村監督もそうですし、いつみても波乱万丈で細木数子氏がゲストで司会者だった福留功男氏を鑑定した所、「あなたは金星人で部下を育てるのは下手」と言っていたのが印象に残ってます。』

と、コメントくださった方がいました。
同じようなことを思っておられる方がけっこういるかも?と思ったので、投稿として書いておきます。

天中殺グループと陰占、陽占は、それぞれ使う局面や意味合いが異なります。

例えば「部下育てが下手」という一事をとっても、言葉としては同じであるものの、その意味は三者三様なので、それを一つの「部下育てが下手」という言葉をもって同じまな板の上でお話をしようとすると混乱するだろうと思いますがどうでしょう。

まず天中殺グループですが、
天中殺グループは「家系の流れにおける役割」を示すと一般的にいわれますけれど、
もう少し言い方を変えればその本質は「集団の流れにおける役割」であり、天中殺グループに付随する性格やら性質というのは、基本的にその「集団の流れおける役割」を全うするために必要な性格であり性質である、ということになります。

算命学においてまずみるべきは天中殺グループであるといわれるのは、
人がこの世に生を受けたらば、脈々と続く様々な流れの中に必ず役割があり、その役割が天中殺グループに刻まれているからです。

この役割というのは「自分の人生」「個人の人生」という単位における役割ではなく、
「組織の流れ(歴史)」「集団の流れ(歴史」というより大きな単位における役割のことで、
いってみれば、自分の人生より高次のレベルにおける流れを淀みなく流していくための「役割」なので、個人の人生だけで眺めてみてもよく分からないものかもしれません。

例えば、
人類の歴史が起こって栄枯浮沈を繰り返していく流れとか、
一つの会社が起こって栄枯盛衰を経ていく流れとか、
そういう「組織集団」、「一個の人間より高次の組織体」における「個としての役割」を示しているのが天中殺グループである、といえば伝わるでしょうか。

次に陰占ですが、
陰占は生を受けた個人の要素とその置かれる環境を示しています。

個人の要素とは、「より高次の組織体」において自分という「個人」がどんな役割を果たす性質を持っているか、どんな「パーツ」としてその役割を果たすか、を示すものと言い換えられます。

またその環境とは、小さな意味では家族を示し、大きな意味では社会全般を示すもの。そういう自分が育つ家庭の環境や、自分の仕事における職場の環境など、自分が置かれた「人生の設定」と言い換えられます。

つまり、陰占は、パーツとしての自分の性質と自分が置かれる人生の設定が示されているもので、
言い換えれば、「より高次の組織体」の中でどんな機能をどんなふうに果たしていくのかを示しているということになります。
環境や機能は自動的に与えられ、人間にはコントロールできないものなのなので、陰占は「潜在意識、本人には自覚できない」ものだといわれます。

そして最後に陽占ですが、
ここで初めて「個人の意思」が登場します。
自分が置かれた環境にどう対峙していくのか?
自分が出会う人に対してどんなふうなアプローチをとるのか?
自分がどんな性質を世の中で役に立てていくのか?
「自分」という個人がその人生において出会う人たちへの処し方、
人生において役割を果たすらその役割を果たしやすい分野、
…などが陽占には示されており、

天中殺グループに示されている役割を、
陰占において与えられた環境において、
陰占に示されている機能を持ったパーツとして、
自分がどんなふうに生きていくのか?

…が示されているのが陽占なので、
陽占は「顕在意識、自分の取扱説明書」といわれたりします。

前置きが長くなりましたが、
冒頭の「申酉天中殺は部下をライバルとみるので部下育てが下手なのでは?」という話に戻せば、

申酉天中殺は「組織を継承していく」役割なので、自分が既存の組織を活性化させる、組織の永続のための基盤を作るという役割のため、自分が目立つ、自分がスターである、ということを目指します。
その反射として不足のある部下をつぶす、自分の描く継承の姿と異なる資質の部下をライバルとみる向きというのも確かにあります。
しかし、彼らの目指すところは「組織が継承されていく」ということにあるので、「組織に資する部下」までもつぶす訳ではありません。
本質的に「部下をつぶすこと」を目指しているわけではないのです。

「組織を害する部下」「あるべき組織の姿に見合わない部下」でれば、「継承していく」という役割を果たすために、そういう部下を育てるよりは切り捨てて、自分がメインを張ることはあるかもしれませんが、それは組織に資する部下の登場を待つという意味もあるだろうと思います。

そう考えれば、申酉天中殺グループは「できない部下」は育てない、ともいえるのかもしれませんが、「部下をつぶす」という性質があるとは言えない、と分かるのではないかと思いますがどうでしょう。

まぁ、端的にいえば、
そもそも、天中殺グループで「部下の育て方」をシンプルに語るのは難しいということでもあります。

ちなみに、陰占で「部下育てが下手」という場合、日干と月干が比和になる場合かな、と思います。

相剋ではなく比和なのはなぜか?
これは陽占の中央と南の関係においても相剋ではなく比和がダメだと書いたこととも重なるのですが、
剋されれば立ち向かえるのです。
剋して試練を与える親や上司は子供にとっては壁にもなりうるので、関係は円満ではないかもしれませんが、それをもって成長に導くことができます。

しかし、比和というのは「同じ一つの席」を取り合うのでつぶしあいになります。
そして、陽占の場合でいえば、子供や部下はそもそも力量において自分より劣るから南方でみるわけなので(もし力量において五分や多少上なら東方になります)、力量において劣る存在と張り合う=つぶす、ということになります。

余談ですが、
細木数子さんの六星占術は算命学の天中殺グループをベースにしているのでうなづける面は大いにあると思いますし、六星占術は東洋占術を大衆に広めることには大いに役だったと思うのですが、これだけをもって様々なことを語るのは、「流れにおける役割」だけで人生を語るようなもので、人生の概観を語るには便利ではあるものの、個人の性質や姿を語るときには陰占や陽占など、他の技術も含めて使っていかねばならないだろうと思います。

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