金烏玉兎庵

ものが分かっている人は新聞を読まない?内次元・外次元

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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前に読んだ故船井幸雄さんの本に、
「物事が分かっている人は新聞を読まない」というようなことが書いてありました。

 

この感覚、不思議に思う人もいると思うのですが、
(そして船井幸雄さんは人により「トンデモ」扱いされたりもしますが)
それぞれの星をしっかり光らせた上で内次元や外次元が成立し稼働している場合、
新聞など読まなくても世の中の動きは分かるし、たとえ新聞を読んだとしても紙面を眺めただけで必要な情報が飛び込んでくるようになるので、精読などすることはないようです。

 

その「分かる」というその内容が正確確実なことであるとは限りませんが、
新聞のようなプロパガンダや書き手の意図など、ノイズの多い情報を懇切丁寧に読むくらいであれば、多少不確実であったとしても事実事象を拾って自分で予見する方が有意義だと感じているように思います。

 

内次元、外次元というのは、
陽占の星が陰陽五行の順番で3つ並ぶことをもって成立します。

つまり、以下の流れのうち3つが命式の中にある場合が内次元、後天運の大運でめぐる場合が外次元といいます。

貫索星→調舒星→禄存星→牽牛星→龍高星→石門星→鳳閣星→司禄星→車騎星→玉堂星

 

内次元を持つ人で、ある程度の修羅場を通っている人、
外次元が既にめぐり、やはり何かしらの苦難を乗り越えている人というのは、
何か普通の人と異なっていて、まさに「次元が異なる」感じがあります。

 

この「次元が異なる」ということについて少し説明すると、
通常、人は自分に与えられた環境の枠の中を生きていき、思考回路もまたその環境の枠の中にあるのですが、内次元・外次元があってそれがしっかりと稼働している場合、思考回路がその枠を超えるように思います。

 

一つ視点が高くなるというか、
全体観をもって眺められるようになるというか。

 

「次元」というと、半会は「異次元融合」ですが、こちらは現実の関わりにおいて次元を超えるものであるのに対し、内次元・外次元は精神において次元を超えるように思います。

 

なんとなく頭がいいなぁとか、
本質を突いているなぁと思う人というのは、
たいていこの内次元・外次元があるように感じますがいかがでしょうか。

 

内次元・外次元というのは、一つの「自然の流れ」です。
「陰陽五行の自然の流れを体得する」ともいえるように思います。
それは自然の本質に近づくことであり、その自然の本質に近づいて生きることにより、人生は稼働しやすくなります。

 

但し、稼働した人生を生きることはエネルギーを消耗するものでもあるので、
ある程度緩急をつけるとか、ところどころ休憩を入れるとかするほうが息長くその人生を歩めるという面もあります。

 

本質に近づくとか、人生が稼働するとかいうことは、相応の反作用もまたあるものなので、それに見合う精神的な成長や徳を備えることなどが不可欠ということも、覚えておく必要があるだろうと思います。

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