金烏玉兎庵

中殺と生地生家の関係の変化

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

もう少し中殺について書きます。

中殺がある人が、居場所や家系、家族、勤務先などに 「帰属する」ことに拘ると、
たいへんに苦しく不本意な事態に陥ることになりがちです。

なぜなら、中殺がある人というのは「居場所や家系、家族、勤務先」 に収まるような安定性をもたず、不安定に極端から極端への走りがちで、
そういう人物というのは、広く大きな世界に在っては安定することができる一方で、
そういう人物が、限定的な世界のなかにはまり込もうとしたりすると、それはあたかも「破壊神」の如く動乱を引き起こすこととなるからです。

それゆえ、中殺がある人がどうしても、「居場所や家系、 家族、 勤務先」 にうまく馴染もうと思うならば、
そもそも「収まろう」「はまり込もう」 などと思うのではなく、そっと目立たないようにそこにいること。
それができないなら、自分で一家一流派を立ち上げて、自分で自分の「帰属先」をつくるべきで、
そのようであって初めて中殺がある人は 「安定」 を得ることができます。

これは例えば、「寄らば大樹」 とばかりに安定的な企業に身を寄せることが安定につながると一般的にはいわれるけれど、
中殺があるような人は、その安定的な企業のなかにあって最大の悩みを抱き、
吹けば飛ぶような企業を支えるような役目を果たす、
自力で何とかしなければならないような独立起業の道を歩む、
…ということの先にこそ、確固たる安定を得ることができるのだということです。

不安定のなかにこそ安定を得ることができる、
…そういう種類の人は、世間一般で 「安定を得られる」とされることによって足を沼地に取られるような事態となってしまいがちで、
「不安定」 のなかにこそ自分の生きる道、自分にとっての安定があるのだという自覚を持つ必要があります。

中殺がある人は生地生家を離れて伸びる
…といわれるそれについて、生地生家を捨ててよい・生地生家を断ち切ってよい…と、考える方がおられますが、
これはあくまで「伸びるまで」のことであって、伸びた先においては生地生家に凱旋する、恩返しに立ち戻る必要があるのだろうとおもいます。

その意味でいえば、算命学では人間の人生について 「循環」の言葉を使うことが多いですが、
実際には 「再帰」 の言葉のほうが適切なのかもしれません。

循環はループの繰り返し、再帰はループを繰り返す中に自分を掘り下げ見つけていくプロセスで、
人生が、そんなふうに再帰的に自分を見つけていくプロセスであるなら、その最後の答えは、生地生家にある…ということになりますね。

ちなみに、物理的な「生地生家」 が既に人手に渡っています、という方もけっこうおられると思うのですが、
別にその 「生地生家」 を改めて自分のものにする必要などはなく(そんなことをすると、中殺の不安定を助長しますし)、
ただその場所、その空間に思いを致す それだけで気づくこと、見つかることがあるのだろうと思います。

中殺があって生地生家を離れることなくいると、 「暗室の向日葵」のようになってしまう、ということを書いたことがありますが、
戻ってくるべきタイミングは、「暗室に入りきらないような向日葵」 になってから… です。

🪷

モバイルバージョンを終了