金烏玉兎庵

ヒポクラテスの誓い

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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昨年、骨折して入院し、長くリハビリに通っていた時期に、主治医から「ヒポクラテスの誓い」について教えてもらいました。

ヒポクラテスの誓い」とは、
医師として患者を看るようになる前に、医療従事者が立てる誓いです。

一部をウィキペディアから引用すると、以下のような内容です。

・自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
・依頼されても人を殺す薬を与えない。
・生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
・どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
・医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。

 

人の弱さにダイレクトに接する職業というのは、こうした「聖職者」としての誓いを立て、それを遵守します。
患者のためのみならず、自らのために。

運命の仕組みとして、
他人の弱さをその職業として知る立場の人が、
他人の弱さにつけこんだり、
他人の弱さを利用したり、
他人の弱さを嘲笑したりすることは、
倫理に反するばかりでなく、いずれ自らに同じ責め苦をおうことになります。

それは、例えば迷える羊を導く教師とか、あるいは算命学のような他人の宿命をみる立場も同じ。

最近、それほど関係のよくなかった会社の同僚などから頼まれて命式を拝見するこもありますが、ひとたび命式に向き合えば、
その人の宿命をどう光らせるか?
起こりうる問題についてどう対処するのが最善か?
そして「苦しい」と思われそうな点について、どう解釈すれば前向きに取り組めるかについて真摯に考えます。

その心持ちの原点は、ヒポクラテスの誓いです。

私は算命学を学び始めるに至る道筋において、
出会った人たちから様々な示唆やヒントを頂きながら今に至っていますが、このヒポクラテスの誓いを教えてもらったこともその一つなのだと思い出しました。
他人の宿命に接する立場として、それを知らずに進んではいけないという意味も、あったのかもしれません。
そう考えると、骨折もまた、算命学を深めていくために必要な、そして大切なプロセスの一つであったことが分かります。

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