金烏玉兎庵

交響曲と算命学

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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本日は、知り合いのホルン奏者にお声掛け頂いてクラシックの演奏会に行って参りました。

久しぶりの生の音、交響曲、素敵でした。

冬の薄ら寒い曇天のような滑り出し、
バラバラとした音の重たい響きから始まり、
調和を得て同じ方向に向かう旋律、
最後は華やかに発展的に拡大していくような美しく心地よい締めくくり。
2月、春節をこえて新たな年が開いていく季節に相応しい素晴らしい演奏会でした。

聴きながらいろんなことを考えました。

音楽の調べと株の値動き、そして人間の人生の紆余曲折は似ているな、とか、

様々な楽器がそれぞれの役割を果たすことで成立する交響曲は人間社会の縮図のようだな、とか、

音楽はそこで渾々と咲乱れてはこぼれていく花々のようであるのと同時に、絵巻物のように流れていくようにも見えるものだな、とか。

音楽というのは、多層的な体験です。
その曲の意味や解釈を知らずとも、
ただそこで演奏家の手による音を体験・体感しているだけで、
様々な哲学やビジョン、真理やドラマを感じることができます。

 

演奏を聴きながら感じたことを、帰ってきて整理してみました。

 

さざ波のように続く音の連なりがその幅を広げて大きな波のように発展していく様子は、株のチャートが小さな波を経て大きく上昇、あるいは大きく下落していく姿に似ています。

さざ波は穏やかさではなく力を溜め込んでいる時期なわけですが、それは人生においてコツコツとした努力の時期を経て大きな何かに結実していく様子と同じです。

 

交響曲における様々な楽器は、それぞれにユニークで、休むこともあれば鳴り響くこともあり、メインのメロディを牽引する楽器もあれば、ベースで支える楽器もあります。

どの楽器が欠けても交響曲は成立せず、たとえわずかな出番であっても、そこに魂を賭けた音色を奏でることにかけがえのない存在感があったりします。

それは社会や組織において、どんな人にも役割と存在意義があるのと同じ。

 

また、一つの音楽は、調和のもとで流れ変えていくものでもありながらそれ自体が一個の完成された楽曲でもあります。

それは人生が時間の経過とともに流れ過去になっていくのと同時に、その全体が一個の完成された人生でもあるのと同様に思えます。

 

音楽を聴いていると、人生や哲学を感じます。

算命学も、干支の連なりやそこから出現する星の調和の中に真理がありますけれど、そのことにも思いを馳せながら聴きました。

古代ギリシャに起源をもつリベラルアーツは、自由7科を基本とするといわれます。

その7つの科目は文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽。

算命学は天文と算術、幾何を活用したものであることを考えれば、古代において真理を知り顕す手段としては、同じなのだろうと思いました。

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