貫索星と牽牛星の相剋(検証中)

貫索星と牽牛星の組み合わせについて考えています。
金剋木、牽牛星が貫索星を剋す組み合わせです。
相剋ですが、陰陽なので反発の先の相剋ではなく、和合の中の相剋。
なんとなく馴染むなかで対立するイメージで、
七殺といわれる陽同士、陰同士の相剋の激しさよりは幾分柔らかい相剋です。

貫索星というのは、独立独歩、頑固な星といわれます。
前に少し書きましたが、育てられるにあたっては、厳しく叱り飛ばされ鍛えられることでその頑固な質が伸び、
モノゴトに動じない立派な人物になります。
現代社会では、「頑固」というのはあまり喜ばれない向きもありますが、
何にせよ、信念や拘りというのは、一個の人間としてキラキラしく生きていくには不可欠の性質です。

これに対する牽牛星
こちらは文官の星、組織の星、王様を補佐する星といわれます。
一般庶民とは一線を画す立場にあるというプライドを持ち、実際、頭が良く美男美女が多いともいわれますが、
個としては自分のない日和見主義的な小心者、といわれたりします。

この組み合わせは、
木性と金性、現実星同士の相剋なので、
精神星である火性や水性が絡む相剋よりも葛藤は少ないものの、
現実的な局面で軋轢や衝突がくっきり出るといわれます。

この組み合わせを
東と中央に持つ友人が何人かいて、
少し考えています。

主星が牽牛星であれば、東の貫索星に対しては牽牛星の方が剋すので牽牛星の質が強く残るだろうと思っているのですが、現実局面において本人は剋される意識を強く持っているのだそう。
一方、主星が貫索星で東が牽牛星の場合も、やはり牽牛星より貫索星の頑固さがガツンとやられつつも、本人の意識としては、プライドが痛む意識を持っているという話を聞きました。

そうしたことを考え合わせると、
相剋というのは、
必ずしも剋す側は打ち克つばかりでなく、剋すことによってダメージを受けるということで、
必ずしも剋す側ばかりが強いのでなく、
剋される側ばかりが弱いわけでもないということなんだろうと思います。

そういえば、
陰占における天剋地冲も、
剋される場合だけでなく剋す場合も大きな衝撃を受けるもの。
それは、ふつうの人間関係などにおいても、喧嘩をして勝ったとしても、負けた場合と同様に痛みを残すのと同様なのかもしれません。

喧嘩両成敗、
あるいは、衝突はそこに軋轢が生じるという意味では、剋す側も剋される側も同じ、という言い方もできそうです。

なお、相剋の関係を棚にあげれば、
貫索星の個性を死守し、独立独歩で自営業に向く質と、
牽牛星の誇り高く大義を守り、組織に生きることに向く質はそもそも対極的であり、
それが同居はすることは、
組織にあってエゴを示し、
個人として生きるに組織の枠に囚われる、という現象となります。

そして、それに相剋という要素が加わることで、その2つが協調調和のもとで発揮するのが難しく、悩み多い現象を生む、ということなのかも。

まだまだ学びの過程にあって検証を重ねているなかではありますが、
そんなふうに考えました。

なお、貫索星と牽牛星をつなぐのは水性、玉堂星か龍高星です。
伝統的なことをコツコツと正統に学ぶことや、
知りたいことを実際の体験として知っていくことが、この貫索星と牽牛星の相剋を緩和します。

これは例えば、
世の矛盾をトルストイの文学の中に学び知っていくことや、
経験をコツコツと積むことで実体験を元に個と組織の調和を理解していくことが、葛藤や軋轢の解消に役立つ、というように捉えることもできそうです。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

2 件のコメント

  • 初めまして、菜のはなと申します。
    いつもこちらのブログで勉強させていただいています。
    わたしの妹は主星が貫索星で南北に牽牛星を持っています。(ちなみに宿命年中殺持ち)
    こちらの記事を読んでとても実感が湧きました。
    彼女は組織の中にあって我を通し(派遣先のルールを変える)、自己の世界において組織(社会的常識など)を気にすることが多々あり、いつも葛藤が多いです。
    そんな妹は陽占に水性が一つもありませんが、小説やマンガが好きで、そこからいろいろな価値観や世界観を学んでいるように見えます。
    自分に置き換えてもそうですが、持たない星であっても、自分の命式を生かせる星は自然と身についていくことが起こるように思いました。

  • 菜のはなさん、はじめまして。
    コメントありがとうございます。

    妹さん、いいですね!健やかに星図の星を活かしているように感じられますね。
    「持たない星であっても自分の命式を生かせる星は事前と身についていくことが起こる」、そのとおりと思います。
    そもそも、星の有無にかかわらず、最低限の五行は誰しもが備えているものなので、例えば水性の星がまるでないからといって知性がなく習得ができないかといえばもちろんそんなことはないですね。

    ちなみに、日々何かしら学んで一年もたつと、そういうコツコツが積み重なって、星一つとっても見えるものがまるで違ったものになる、ということがけっこうあります。
    この記事もそうですが、昔(といっても一年半くらいですが)書いたことについて、浅くて申し訳ないような気持ちです。
    精進しようと思います。
    引き続き、よろしくお願いいたします。

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