金烏玉兎庵

星の稼働時期

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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算命学の人体星図の真ん中の星は自分の本質を示すものとされていますが、星図の説明においてそこから話すと大抵きょとんとされます。
「ちょっと違わない?」という表情。

そのことについて考えていたのですが、
年齢的に若い人の場合、まだその星が稼働していないということなのだと分かりました。

★①②
③④⑤
⑥⑦⑧

一番最初に光るのは、①②⑤の場所の星なので、そこから説明した方が納得感をもって話を聞いてもらえます。
真ん中の星は、壮年期、あるいは①②⑤が稼働して光った後で光り始める星なので、若い人や稼働の遅い人は自覚しにくいかもしれません。

命式や星図は、平面状に綺麗に並んでいるものを私たちは俯瞰することができるのですが、実はそこには厳然とした時間の流れがあります。
命式、星図を見る者は、神の視点で人間の命の現れ、命の流れを眺めているので、単に性質や事象の並びだけでなく、そこにある時間の流れ、どのように現れてくるのかもまたしっかりと読み取る必要があります。

星が稼働する年代もそうですし、
干合変化や半会による変化も年齢を重ねることで現れてくるものも、きちんとその時期を読み取る必要があり、
読み取るだけでなく、それを聞き手の方が理解しやすいように説明する必要があります。

ようやくそのことに気づいたのは昨日のこと。

算命学は本当に様々なものを明確に示してくれますが、どんなアプローチで説明するかによってその魅力を伝えられることもあれは、怪しげなものという印象のみを残すこともあります。
その意味では、命式の読み手・語り手の責任は重大です。

実際、読み手・語り手によって全く異なることが伝えられたりします。
例えば、貫索星という星について、「頑固で偏屈ですね」という言い方もあれば「自立心旺盛で自分でなんでもできてしまう人ですね」という言い方もあります。
龍高星という星なら、「放浪癖のある変わった人ですね」という言い方もあれば「クリエイティブでアクティブな人ですね!」という言い方もあります。
前に算命学の占い師さんに見ていただいたときに、「天中殺が明けてもその次の年は調舒星がまわるので孤独ですよ」と言われたことがありますが、今、私なら別の表現を使うなぁと思ったりします。

言い方で印象が180度変わってしまう、
アプローチ次第で、算命学をはじめとする東洋思想への興味や理解を後押しすることもあれば閉ざしてしまうこともあります。

私は「モノゴトを美化して伝える」といわれる調舒星を持っています。
私がご協力を頂いて命式を拝見してお伝えする場合の説明はモノゴトの良い面にフォーカスして伝えています。その傾向は、多分調舒星の影響です。
同様に、最大限星が稼働する前提でお伝えする傾向もあります。
人の可能性は開かれるべきで、開いた姿を目指すべきという考えによります。

良かれと思ってそうしているものの、ときどき「聞いてたのと違う!けっこう大変じゃないの!」と怒られたりします。が、大変な中にこそあるキラキラした光を目指して欲しいという思いもあります。

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