金烏玉兎庵

垂直に向かう人、水平に向かう人

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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先日、某大手上場企業の役員の方とご飯を食べる機会があったとき、
その役員が、とある部長職の方について、
「あの顔だぞ、負ける気がしないよ。」
と言っていて、あーやっぱりそういうの、あるんだなぁと思いました。
人によっては非難されそうですけれど。

その言われた方について厳密にいえば、顔を含めて雰囲気や話し方が茫洋としているというか、ぬぼーっとしている感じの方です。
下の立場の私から見ているとソツなくエゴなく上の人からは使いやすそうな人だと思っていました。
多分、その印象は正しくて、それを上の人から表現すると、
「負ける気がしないよ」ということになり、そう上の人が思うから、比較的早く昇格しているのだと思います。
(まぁそればかりではないと思いますが。)

なので、茫洋としていることは必ずしもNGではなく、冴え冴えとしている人がOKなわけでもありません。

ただ、
世の中「平等」と言われますが、
本質的な「人間の格」というのは明確にあるように思います。
見えているものも察知できるものも全く違う、視点の高さや鋭さとか、
許容できる出来事の大きさが全く異なる懐の深さとか、
そういうものは、努力とか経験で身につくものではありません。
生まれ持った才能の違い、個性の違いであって、言ってみればIQが勉強によって伸びないことと同義です。
そうしたことを明確に口にすることは差別につながるのであまり大きな声で言われなくなりましたが、
昔の人はそれをしっかりと認識していたように思います。

「顔」といってもその美醜ではありません。
なぜなら、どんな顔も美しくもなりえるし醜くもなるものなので。
「人間の格」の低い人というのは、写真ではどれだけ美しく見えても、直接会うと然程でもなく見えたりします。
一方で、写真では平凡に見えた人でも、「人間の格」の高い人というのは、直接会うと驚くほど美しく見えたりもします。

ちなみに、
「人間の格」の高い人が幸せかといえば、世の中そんなに簡単ではなく、
それに決して届かない人からは邪険にされ、同じような格の高い人からは警戒されて重用されないということも多くあります。
逆に、
茫洋とした人の方が、みんなと仲良く平和に生きていけたりします。
本質的な評価はされない気もしますが、処世術としてはアリです。

前者は苦労をたくさんして、どの分野であれ上に立つことを目指し(垂直に向かい)、
後者はなるべく諍いなく仲間を増やすことを目指す(水平に向かう)のが望まれる生き方、といえます。
こういうのは、命式を見るまでもなく、
世の中の法則です。

その、世の中の法則に沿っている人、簡単に沿える人が幸せかといえばそうでもなく(ラクではありますが)、
その世の中の法則に反している人が、不幸というわけでもありません(大変ですが)。

人間の格が「宿命」だとすれば、
どのような道を選びどう進んでいくかの選択が「運命」を決めるといえます。
幸せかどうかは、自分の内側でのみ認識できるもの、と思います。

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